司祭 バルトロマイ 三浦恒久
神の思いが凝(こご)って【ヨハネによる福音書1:1〜18】
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(ヨハネによる福音書1:1〜3)
岩手県気仙地方の言葉で聖書を翻訳した山浦玄嗣さんは、ヨハネによる福音書の冒頭の言葉を次のように訳しています。
初めに在ったのァ
神様の思いだった。
思いが神様の胸に在った。
その思いごそぁ神様そのもの。
初めの初めに神様の
胸の内に在ったもの。
神様の
思いが凝って
あらゆる物ァ生れ、
それ無すに
生まれだ物ァ一ぢもねァ (ヨハネ1:1〜3)
初めに神の思いがあった。その思いが凝ってあらゆるものが生まれた。「神の思いが凝って」とは、心に響く翻訳です。クリスマスの出来事は、まさに「神の思いが凝った」出来事でした。
イザヤはこう預言しています。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。(イザヤ9:5〜6)
救い主の誕生は、神の熱意の表れだとイザヤは告げています。「あなたを愛さずにはおられない」この神の熱意が、クリスマスの出来事の原点なのです。
そして、わたしたち自身もまた、神の熱意に包まれた者、神の思いが凝って存在する者なのです。
「君は愛されるために生まれた」という韓国のゴスペルがあります。
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
永遠の神の愛は
われらの出会いの中で実を結ぶ
君の存在が
わたしにはどれほど大きな喜びでしょう
君は愛されるため生まれた
今もその愛受けている
君は愛されるため生まれた
今もその愛受けている
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
このゴスペルで歌われているように、クリスマスの出来事は、神の一方的な恵み、熱意、熱愛、熱情の表れとしての出来事なのです。