司祭 アンナ 三木メイ
「神は我々と共におられる(インマヌエル)」
アドヴェントの最後の日曜日を迎え、いよいよキリストのご降誕を祝うクリスマスが近づいてきました。私たちの周りには、キリスト教には関係ない、文化的イベントとしての「クリスマス」があふれています。チカチカ光るイルミネーションにいろどられたツリー、サンタさん、プレゼント、クリスマス・パーティ等々、とても賑やかな、華やかな、楽しそうなイメージ、そしてなぜかクリスマスは恋人とすごす日と思い込んでいる人が日本では多いです。若者たちはクリスマスには恋人とすごしたいと夢を描き、彼氏や彼女がいない者たちは、それを「非リア充」(リアルな生活が充実してない)と呼んで嘆くのです。
しかし、そんな目に見える華やかさと、キリスト教における本当のクリスマスはかなり違っています。明るい部分ばかりに目を奪われるのではなくて、暗い部分に目を注ぐことが大切なのです。なぜなら、神様によって、この世の暗い部分、人の心の暗いところに、「光」(=イエス・キリスト)があてられたということを感謝して、喜び祝うのが、クリスマスだからです。
マタイによる福音書の第1章18節以降には、主の天使が、マリアの婚約者のヨセフの夢に現れて、「受胎告知」した場面が記されています。当時のユダヤでは、女性は12〜13歳で婚約して14〜16歳で結婚するということが多かったようです。ですから、この時マリアは13〜15歳くらいだったかもしれません。今だと中学生くらいでしょうか。そんなマリアが、婚約中にヨセフ以外の子を妊娠してしまったのです。それはこの二人にとって、暗く、重く、辛いことであり、受け入れがたい出来事でした。思いがけない、望まぬ妊娠を知って、ヨセフは密かにマリアとの婚約を解消して縁を切ろうと考えていました。
その時に、主の天使が夢に現れ、聖霊によって身ごもったのだから、恐れないでマリアを迎え入れなさい、とヨセフに告げます。そして、「イエス(=神は救いであるという意味)と名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」この男の子の誕生は、旧約聖書のイザヤ書で預言されていました。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」神が我々と共にいてくださる(=インマヌエル)、その神の救いが、今から生まれる嬰児によって人びとに与えられる。この告知をヨセフは受け入れ信じました。そして、彼はマリアと結婚して、イエスがこの世の暗闇を照らす光として誕生したのです。
神様は私たちといつも共にいてくださいます。そのことを、クリスチャン人口1%以下の日本の人びとに、一人でも多く知らせていきましょう。キリストの光が一人一人に届いて、本当に「リア充」のクリスマスになりますように、心から祈り求めていきましょう。