司祭 ミカエル 藤原健久
友達と信仰【ルカ16:1−13】
この管理人の行動は、明らかに「不正」である。けれども主人は彼をほめた。何故か?もしかしたら「不正な」とは、「現実的な」と言う意味なのかも知れない。小さな悪行を行うことで自分を助ける仲間を作る管理人、結果的に不良債権をある程度処理した主人。「正義」の枠からは外れるかも知れないが、この様な現実もあるのかも知れない。
もう一つの現実がある。それは「お金よりも友達が大事」である。いざというときに自分を助けてくれるのは、お金ではなく人間である。自分に好意的に接してくれる友達は、お金よりも頼りになる存在だ。
イエス様は言われた。「私はあなたがたを友と呼ぶ。」(ヨハネ15:15)。私たちは、友達であるイエス様を神様と信じる。友達とはそこまで深い関係性なのかも知れない。
友達にも色々ある。親しい友、疎遠な友、助けられる友、心配を掛けられる友。「理想の友」とはほど遠い現実が有りながら、現実の友達を大事にすることは、神様への信仰を深めることにつながるのかも知れない。
友達であるイエス様は、我々のために十字架に架かってくださった。私たちはこの友情にどのように応えてゆくのか。現実的な信仰生活に於ける宿題と捉えたい。