執事 アントニオ 出口 崇
どっちが大切か
どちらかを選びなさい、どちらか大切なほうを選ぶ、人生の選択を迫られるような大きな決断だけでなく、「うどんかそばか」という程度の小さな決断も含めれば毎日のように何かを選び、何かを捨てています。
先日テレビを見ていたら、バイオリニストの葉加瀬太郎さんと、「あまちゃん」の脚本家の宮藤官九郎さんとの対談をしていました。葉加瀬さんの大切にしているバイオリンが1億円すると言う話を聞いた宮藤さんが、「奥さんがそのバイオリンを持っていて階段から落ちたら、どっちを心配する?」という質問をしていました。葉加瀬さんはとても悩んだ末に「その時にならないと分からない」と答えていました。「奥さん」とか「バイオリン」と答えられても、うそ臭く感じてしまうので、「その時にならないと分からない」という答えは、本当に正直な思いだなと感じました。
99匹の羊か1匹の羊、9枚の銀貨か1枚の銀貨 どちらを選ぶか?
今日のイエス様のたとえ話では、どちらかではなく、「どっちも大切」という強引な回答をされます。
それを聞いたファリサイ派や律法学者達からすれば、納得のいかない答えだったのかもしれませんが、イエス様からすれば、自分を慕ってくれている人たちも、自分を憎んでいる人たちも全員を天の国の祝宴に招く。というご自身の使命を改めて固く誓われたのではないでしょうか。
私たちは「どちらか」を選ぶとき、両方とも選ぶことはなかなか出来ませんし、選んだ方も結局大切に出来ない。ということをよく経験します。
しかし、私たちがイエス様を愛しきれない、全てを献げる事が出来ない存在であるにも関わらず、「自分の命」か「全ての人々の命」かの重大な選択で、イエス様は私たちを選んでくださいました。