2013年4月14日      復活節第3主日(C年)

 

司祭 セオドラ 池本則子

イエス様の救いの網に入れられた私たち

 網にかかった153匹もの大きな魚、しかもこんなに多く獲れても全く破れなかった網。1晩中ガリラヤ湖で網を降ろしていても、全く何も獲ることのできなかったペトロたち7人の弟子たちに、復活されたイエス様が起こされた奇跡でした。

 聖書に記されている153匹という魚の数。「150匹ほど」でも「約150匹」でもない、具体的な「153」という数字。この具体的な数字は一体何を意味しているでしょうか。当時、地中海に生息していた魚は153種類と言われていたようです。そのことから考えると、すべての種類の魚がかかった、ということを伝えたかったのではなかったかと思われます。
 「網にかかった魚」、それはイエス様の救いの中に入れられた人間と考えることができます。そして、あらゆる魚がかかったということは、特定の国や人種、民族、部族、宗派、性別、考え方などいろいろな違いを越えて、すべての人間がイエス様の救いの中に入れられた、ということを物語っているのではないでしょうか。生前のイエス様はユダヤ人とその周りの異邦人に対して宣教して来られましたが、復活されたイエス様は全世界のすべての人に対して宣教されているのです。

 そして、それらの魚が捕れた場所は、復活されたイエス様がおられる陸から200ペキスばかりしか離れていませんでした。200ペキスは90m、そんなに遠い距離ではありません。つまり、この90mという距離が意味していることは、神様によって救われた人とイエス様との距離は遠くない、ということなのではないでしょうか。イエス様は私たちの近くにいてくださるのです。近くにいて私たちを守り、いつも私たちと共にいてくださっています。

 さらに、こんなに多くの魚がかかっても網は全く破れていなかったことを聖書は説明しています。網が破れていなかったことをわざわざ記しているということは、捕った魚をすべて逃がすことなく、落とすことなく、陸に引き上げた、ということを強調したかったのではないかと思われます。そしてそのことは、イエス様が一旦捕らえた人を、イエス様の方から離したり、排除したりすることは決してなさらない、ということを意味しているのではないでしょうか。
 一度はイエス様を信じようと教会に足を運んだり、洗礼・堅信を受けはいてもいろいろな理由で教会から、信仰から離れてしまっている人たちもたくさんいます。しかし、イエス様はそのような人たちに対しても、いつも辛抱強く網をおろし続け、もう一度陸に引き上げようとされているのです。
 そして、まだまだ世界中にはイエス様の救いの網の中に入れられていることに気がついていない人たちも大勢います。イエス様は世界中の隅々にまで果てしなく網をおろし続け、気がつくのを待っていてくださっています。

 網を破ることなく153匹もの魚が捕れた、という復活されたイエス様が起こされた奇跡。それは、神様の救いの業というのは世界中のすべての人のすぐ近くでもたらされるものである、ということを示した出来事であったのでした。