執事 ダニエル 鈴木恵一
教会の暦は 大斎節に入りました 大斎節はイースターを迎える備えの時として、主日を除く40日前からその期節になります。今年は2月13日が大斎始日でした。
本日の福音書【ルカによる福音書4章1〜13節】は、イエスさまが宣教の始めに洗礼を受けられた後、荒れ野で40日間を過ごされたことを覚えます。
40という数には、聖書の中では苦しみや試練をあらわす特別の意味があります。旧約聖書に記されている、イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地への旅「40年間の荒れ野の旅」がその象徴です。荒れ野は水や食べ物が十分ではなく、生きていくのにも厳しいところです。神さまは荒れ野で旅するイスラエルの民に、岩から水を湧き出させ、天から「マナ」と呼ばれる食べ物を降らせて、人々を養い、その旅を導き続けました。イスラエルの民は、荒れ野で神さまへの信頼が問われました。
イエスさまの荒れ野での40日間も、神さまとの関係が問われる時でした。「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた」(4:1−2)。神さまの霊がイエスさまを荒れ野に追い込み、神さまによってこの試練が与えられました。その荒れ野で、悪魔がイエスさまの前に現れ、ささやきます。その悪魔はイエスさまに3つのことをささやきました。「石をパンに変えてみろ」「あなたが私を拝むならば、この世の支配権をあげよう」「おまえが神の子であれば、神が守ってくださる。この屋根から飛び降りて、神の子であるしるしを見せれば、多くの者が信じるだろう。そうすれば神の国を造れるではないか」これらのささやきにイエスさまは、最期まで自分のための解決を望まれませんでした。
悪魔は神さまへの信頼を自分のために使うようにと誘惑します。神さまへの信頼は大切なことです。日ごとの糧や安全を願う事は、悪いことではありません。イエスさまは5000人以上もの群衆の空腹を満たし、病の中にある多くの人々を癒されました。しかし、自分のためだけにそれらを求めるとき、神さまとの関係、また人々との交わりを失っていくことになります。
わたしたちも、いつも神さまとのつながりを問われ、人々との交わりを問われ続けています。その意味ではわたしたちの人生は荒れ野の中を歩んでいるようなものです。だからこそ、イエスさまが示された神さまへの信頼を、絶えず求めずにはいられないのです。