2013年1月13日      顕現後第1主日・主イエス洗礼の日(C年)

 

司祭 バルトロマイ 三浦恒久

神は貧しさの中に【ルカによる福音書3:15〜16、21〜22】

 あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。(ルカによる福音書3:22)

 ある金持ちがいました。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていました。犬もやってきては、そのできものをなめていました、。
 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれました。
 金持ちも死んで葬られました。金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えました。金持ちは大声で言いました。「父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水で浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。」しかし、アブラハムは言いました。「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。」

 ラザロとは「エレアザル(神は助け給う)」という意味です。イエスはこの物語を語ることによって、神は貧しい者を助けてくださる、貧しさの中に神は働かれるのだと教えています。

 イエスが宣教を開始されたのは30才の頃でした。その直前、ある重大な出来事が起こりました。それはイエスが洗礼を受けたことです。
 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。
 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(ルカ3:21〜22)
 民衆が受けたのは、罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼でした。それと同じ洗礼をイエスは受けたのです。イエスは民衆と同じ地平に立たれました。イエスは貧しい者となられました。だからこそ天が開け、聖霊がイエスに注がれたのです。だからこそ、あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者という神の祝福の言葉が与えられたのです。

 貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。(ルカ6:20)
 これがイエスの宣教の核心でした。
 神は貧しさの中で働かれます。神は飼い葉桶の中におられます。神は最初に幼子イエスを拝んだ、羊飼いたちの中におられます。神は洗礼を受けなれければならなかった民衆の中におられます。神はラザロの中におられます。
 そして、神はあなたの貧しさの中におられます。