2012年11月25日      降臨節前主日(B年)

 

司祭 サムエル 小林宏治

 降臨節前主日は、教会暦で一年の最後の主日にあたります。「王であるキリスト」の日とも言われます。小見出しでは「ピラトから尋問される」と記されています。
 ピラトとイエス様との言葉のやり取りの中で、今までの王とは異なる、神の国を治める王の姿が示されています。イエス様のうちに神の国の王としての姿を見るというのです。【ヨハネによる福音書第18章31節から37節】
 聖書が描く場面は、ローマ総督ピラトの官邸です。ユダヤ人たちは、明け方に、イエス様を総督官邸に連れてきました。ピラトはユダヤ人たちと、イエス様の罪状を巡って、押し問答をしました。その後、ピラトによるイエス様への尋問が開始されました。イエス様とピラトの会話は、かみ合いません。ピラトがイエス様に「お前がユダヤ人の王なのか」と問いました。ピラトにとって、重要なことは、イエス様がユダヤ人の王かということでした。ユダヤの中で見られたローマ帝国に対する政治的な指導者かということでした。それに対して、イエス様は、それはあなたが言っていることなのか、他の人の言葉に動かされてそういうのかを問い正されました。ピラトは早急に決着をつけるために、イエスが何をしたのかを知ろうとします。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
 イエス様は以下のように答えられました。
 「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。
 しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
 また、次の言葉も言われました。
 「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。
 わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。
 真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
 イエス様の思い描く王とは、また、その王国、神の国とは、この世のものとは異なると言われます。神なる領域、神の国での王であり、神の国を支配する者であると言われます。また、真理について証しするために生まれ、そのために世に来られました。真理を知る者として、神の真理を持つものとしてイエス様はおられるというのです。
 イエス様は王であることを否定されません。この世の王ではないということです。イエス様はこの世に、神の国を打ち立てるために来られました。平和、兄弟愛、正義、公平、あらゆる人の権利の尊重、神の愛、人への愛が満ち溢れる国を築くためにこの人間世界に現れてくださったのです。わたしたちはその完全な御国の到来を待ち望むものであり、神の国を築くための働き人でもあるのです。