司祭 ミカエル 藤原健久
一番【マルコ10:28−34】
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」律法学者はイエス様に尋ねる。イエス様は、複雑な律法をひと言でまとめられる。「神は唯一である。」「全てを尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛する。」律法学者にとっては、イエス様の答えは、律法の「優先順位」を示してくれるものだったのではないか。この二つの掟を一位として、他の律法を順位付けして、整理してゆく。
けれども、イエス様は、そのようなことを言われたのではないのかも知れない。イエス様にとって、最も大切な掟は、「唯一」の掟だったのかも知れない。
私たちは日頃、「あれも大事、これも大事」という生き方をしている。けれどもイエス様は「これだけが大事」だったのではないか。それが、最も顕著な形で現れたのが十字架だ。イエス様は、神様と人とを愛する、と言う最も大切な掟を実行するために、それ以外のもの…その最大なものは肉体の命…を捨てられた。
けれどもその結果、イエス様は復活の命を手に入れられた。肉体の命を諦めた結果、永遠の命を手に入れられたのだ。
私たちが最も大切なことを大事にするため、痛みをもって何かを諦めるとき、後にそれはもっと素晴らしい形で、私たちに返ってくるかも知れない。