2012年9月30日      聖霊降臨後第18主日(B年)

 

司祭 ヨハネ 井田 泉

わたしたちの味方【マルコ9:38−41】

「ヨハネがイエスに言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。』」9:38

 ヨハネは、ゼベダイの息子で、ヤコブの弟。イエスの12弟子のひとりでした。
 イエスはヤコブとヨハネに、「ボアネルゲス」というあだ名を付けられました。「雷の子ら」という意味です。この兄弟には気性の激しいところがあって、時々それが爆発し、雷を落とすようなことがあったからでしょう。
 この聖書の個所にもそれが現れています。

 ヨハネは、イエスがしばしば悪霊を追い出し、人を癒されるのを目撃しました。そればかりではなく、イエスによって宣教のために派遣されたとき、ヨハネは、自分の祈りと言葉と手によって、悪霊が追放され、病人が癒されることを経験しました。彼は、イエスの名が力をもって自分とともに働くのを知ったのです。イエスの名は特別な名であり、その名によって力ある働きをさせられるのは特別なこと。またそのようにイエスの名を託された自分たちは、特別な存在なのです。

 ところが、イエスに直接従っている自分たちとは別に、イエスの名前を用いて同じようなことをしている者に出会いました。
 「勝手なことをするな! するなら自分たちについて来い!」
 ヨハネは怒り、雷を落としました。ところがその人はついて来ようとはしません。彼は憤りに満ちて、そのことをイエスに報告しました。
 「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

 それに対してイエスは言われました。
 「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」(9:39−40)

 ヨハネにとっては「イエスと行動を共にしている自分たちに従ってくるかどうか」が問題でした。ところがイエスにとっては「神の業を行っているかどうか」が大切でした。イエスは、ご自分の名前を使って悪霊を追い出しているその人の中に、「神の国を待ち望む」(マルコ15:43)人の愛の業をご覧になったのです。

 「その人はわたしたちの味方」
 このときヨハネは、その人も同じ仲間、イエスの弟子であることを知ったのでした。

 イエスはきっと、わたしたちの労苦を、人よりも温かい目で肯定してくださるでしょう。わたしたちも、だれかの労苦の中に、同じ主の弟子、「わたしたちの味方」の働きを見出したいと願います。