司祭 テモテ 宮嶋 眞
「さびしい野原の真ん中で」【マルコによる福音書第6章30節〜44節】
先にイエス様は弟子たちをガリラヤ湖周辺の村に派遣して、伝道活動をさせられました。そして、今日の箇所は、弟子たちが成果を上げて帰ってきたところから始まります。「イエス様は弟子たちに、『さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい』。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」と書いてある通りです。
「休み」をとることの必要性をイエス様はよくご存知でした。それは、肉体的な休息を取るということだけでなく、精神的な、また、霊的な休みを取ることの必要性でした。私たちは、苦しい時、つらい時には一人祈ることがあります。しかし、成果を挙げたとき、絶好調の時に、ふりかえって休みを取るでしょうか。今回は弟子たちが傲慢にならないようにとのイエス様の配慮だったのかもしれません。
聖書の中にたびたび出てきますが、イエス様ご自身は一人、静かなところに退いて、祈っておられました。ガリラヤ湖の周辺で活動なさっていたとき、よく退いて祈る場所があったのではないかと思われます。
今回も、イエス様と弟子たちが、人々を避け、船に乗り込み出かけたところ、人々は、「それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。」のです。「そこへ」とありますから、イエス様が祈られる場所が、すでに有名な場所になっていたとも考えられます。
そして、そこで、イエス様の前半の宣教活動の一つのクライマックスを迎えます。
イエス様のガリラヤでの宣教活動の中心に、いやしを行うことと、そして、共に食事をすることがあったようです。夕方になって弟子たちが人々を解散させようとしたのに対してイエス様は「あなたがたの手で食物をやりなさい」と命じられます。そして、5千人もの人々が食べて満腹することになったと伝えます。そこで行われたことは、現在、教会で行われている聖餐式(パンと葡萄酒を分かち合う礼拝)の原型になったといわれます。イエス様を中心にして共に集まり、メッセージを聞き、パンを分かち合うというある意味で神の国の先取りのような素晴らしい集まりがそこで行われたからです。そして、その舞台は、大都市の神殿でもなければ町の集会所でもなく、人里さびれた何もない野原の草原の上でした。救い主イエス様が誕生したクリスマスの晩に、野宿して羊の番をしていた羊飼いたちが、野原で真っ先に神の子の誕生を知らされたように、神の子イエス様が人々と出会われる場として最もふさわしい所だったのでしょう。