2012年6月17日      聖霊降臨後第3主日(B年)

 

司祭 ヨブ 楠本良招

「成長」

 山緑川清。山々は新緑におおわれ、有田川の水は清く、海に注いでいます。園庭は緑に囲まれ、教会の人々や園児には憩いの場になっています。空梅雨が続くようになり、むし暑い日が続き、緑の木陰が恋しくなる季節となりました。
 今、幼稚園の畑に先日から除草作業から始まり、畝を作り、枝豆やとうもろこし、すいかの苗を植えました。園児たちは、毎日水やりをしているので、苗は日に日に成長しています。とても楽しみにしています。「どうして苗が大きくなるのかな?.。」と尋ねると、「毎日、水やりをしているもの。」と答えが返ってきます。
 「成長させてくださるのは神さまだよ。」と答えると「うーん。」と納得していますが、自分たちの努力を認めてほしいようでした。

 福音書には、「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」(マルコによる福音書4章27節)と記されています。私たちは、全てを知っているのではありません。私たちを知らない力が、働いていることを知っています。私たちが眠っている時にも、種は成長をやめません。朝起きて見ると、昨夜はなかったはずの芽が出、花が開いています。
 「イスラエルを見守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない」(詩篇121編4節)
 このみ言葉のように、私たちは、眠っている間にも、不思議な神様の力が働いていることが分かります。
 夜のやみ夜には、泥棒や悪者だけが働いているのではありません。真っ暗なやみ夜であっても、不思議な神さまのみ手は働いておられます。
 私たちは、神さまの働きの実や結果を知りません。しかし、時がくれば実がみのります。それは、不思議な神さまのお働きにほかなりません。
 いたずらに騒がずに、信じて待つ者のみに、その働きにあずかるのでしょう。
 待つためには忍耐が必要です。信仰も忍耐が必要です。
 「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません] ローマの信徒への手紙 5章3節〜5節)
 このみ言葉のように、信じる者には忍耐は希望に至ることができることを語っています。
 私たちは待つことは苦手です。何事も促成栽培の時代です。楽な方法での成長を考え勝ちです。例えば、車のハンドルは遊びがなければ運転できません。人生にゆとりを持ちたいと思っています。人生にゆとりがなければ味気なくなると思います。