司祭 バルナバ 小林 聡
「あなたを守りたい 〜神さまとの関係の中で〜」【ヨハネ17:11〜19】
今日の聖書の言葉はイエスさまのとりなしの祈りです。「守ってください」、これが祈りの内容でした。大切なお弟子さんたちをお守りください。それは切実な願いでありました。これからイエスさまは弟子たちの前からいなくなる、その時の事を考えてイエスさまは神さまにお祈りします。教会の暦では丁度先週の木曜日が昇天日でした。イエスさまが天に昇られたことを記念する日です。そして今日はイエスさまが天に昇られた後ということですが、今日の聖書箇所はイエスさまが弟子たちの前から居なくなる前に祈られた祈りです。これは遺言の祈りです。このお祈りでは神さまからの「守り」のことが祈られていますが、それは関わりということの中で守られる「守り」についてでありました。関わり、それは神さまとイエスさまとの関わり、イエスさまとお弟子さんとの関わり、そういった関係の中で今までも守られてきたし、これからも守られるのだということです。
私たちにとりまして関わりとは、非常に難しいことでもあります。関わりがうまくいっていれば平和が訪れますが、関わりがまずければ不和となります。自分本位の関わりではどこかに齟齬(そご)が生まれてくるでしょう。
イエスさまは関係の中で、お弟子さんたちをお守りくださいと神さまに祈られました。それはどんな関係を言っているのでしょうか。それは一言で言うと従順の関係です。イエスさまの神さまへの従順、弟子たちのイエスさまへの従順。関係という時に、この従順という関係こそがイエスさまの祈りの内実だったのです。しかもこの従順は単に隷属的に従うというのではなく、まったくの自主性に委ねられている従順なのです。そしてそれこそが弟子たちを守る唯一無二の道であるとイエスさまは祈っておられるのです。守るということを現代に生きる私たちが考える時、いや、お弟子さんたちの時代でさえも、守るということは相手よりも強く、優越していて、相手を凌駕(りょうが)するイメージがあります。しかしイエスさまはそのような守りをお祈りされませんでした。守りは関係の中にあり、その関係とは、それぞれが思い思いの考え方に沿って関係を持つというのではなく、神さまとイエスさまの関係を自分とイエスさまの関係のモデルとし、人との関わりの根底に、イエスさまへの従順があるということなのです。
現代世界ではあまり従順ということを言わなくなりましたが、イエスさまが示されている従順を私たちはあらためて見つめて見る必要があるのではないでしょうか。従順は、信じるということとやってみると言うことが含まれます。イエスさまの行動の内に表された神さまの愛に信頼し、自分もやってみるということです。この従順こそが、すべての関係の基礎となり、そこから得られる神さまからの守りは、普遍的な広がりを持つのです。イエスさまは弟子たちの守りを祈りました。そしてその守りは今、現代を生きるすべての人の守りをももたらします。家族や隣人の見守り、地域や国を超えて神さまのみ守りの中にすべての人が生きることが出来ますように。そんなみ守りをお弟子さんたちはイエスさまの祈りの中に、神さまとイエスさまとの関係の中に見出したのでした。それは「あなたを守りたい、神さまとの関係の中でこそ、あなたを守ることが出来る」と熱心に祈られたイエスさまの願いなのです。