2012年1月1日      主イエス命名の日(B年)

 

司祭 アグネス 三浦恵子

 昨年の数々の災害の痛みを日本中の人が抱えながら新しい年を迎えました。それでも毎年迎えるこの日は、太陽の日差しや空や風、草花の葉の輝きから新鮮な息吹を感じます。そして自分もこれらの中にいる一つの命として、この新しい日に身と心が引き締まるような思いで過ごします。
 教会では「主イエス命名の日」として祝い、羊飼いたちがベツレヘムで幼子イエスと出会う箇所が読まれます。母マリアはおなかに命を宿していることを天使から知らされました。マリアは神さまから頂いた命を生まれる日まで大切に育んだことでしょう。生まれて来る子の名は、「イエス」と決められていました。天使が伝えた「イエス」という幼子の名は、神さまが命名された名前だったのです。「イエス」のヘブライ語名はヨシュアで、「神は救いである」という意味です。神さまご自身が私たち人間の救いを決意されたというご意志を表しているということになるでしょう。マリアのおなかは、周囲の人からもわかるようになっていたかもしれません。旅の途中のベツレヘムで、初めてのお産の時を迎えました。宿屋の女将さんもそこに泊まっていた女性の客も若いマリアのお産のお手伝いをしたことでしょう。主イエスが誕生した所は、すぐ側に居合わせた馬やろばからも祝福されるような場所だったのです。無事生まれたマリアの子は飼い葉桶にそっと寝かされました。メシアの誕生というこの良き知らせは、野宿している羊飼いたちに最初に知らされました。羊飼いたちは、主の光が周りを照らし非常に恐れている中で、「救い主がお生まれになった」という良き知らせを天使から知らされます。天使たちの賛美「地には平和」と合唱する声は光の中で響き渡りました。羊飼いたちは当時軽視され、人々から差別されていた職業です。家を持つこともなく昼も夜も羊と共に暮らす彼等は、安住の住まいがない人たちです。暗闇から希望へ、彼等は、新しい時代の訪れを予感させる心の高ぶりによって「ベツレヘムへ行こう」「主にお会いしよう」と歩き出します。
 羊飼いたちが見たものは、飼い葉桶に寝かされた幼子と、藁に横たわる母マリアでした。貧しさの中にお生まれになった神さまのお姿は、天使が告げた大きな喜びのしるしとして示されました。幼子は人の手によって抱かれ育まれてこそ成長していくことができる存在です。天の神さまが幼子イエスを通して弱く小さくされた者へ目を配りなさいというメッセージを伝えているかのようです。
 「良き知らせ」とは、この世界に主イエスが来られたことであり、イエスさまをメシアと信じる私たちが、全ての人と悲しみや痛みを抱えながら前へ歩み出す大きな喜びのことなのです。