2011年11月13日      聖霊降臨後第22主日(A年)

 

司祭 サムエル 小林宏治

「タラントンのたとえ」【マタイによる福音書第25章14節から29節】

 今日の聖書の個所は、「タラントンのたとえ」という有名な個所です。イエスさまは、天の国は次のようにたとえられると言われました。「ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出かけた」と。それから幾日か経って、「僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた」。5タラントンと2タラントン預かった僕は、それぞれ商売をし、元のお金を2倍に増やしました。主人はその僕たちに「忠実な僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と褒めてくださいました。ところが、1タラントン預かったものは、そのタラントンを土の中に埋めておきましたと報告しました。この言葉に、主人は「怠け者の悪い僕だ。わたしのお金を銀行に入れておくべきだった」とお怒りになったと。
 その当時のお金の保管場所としては土の中も安全だったそうです。
 イエスさまの言いたかったことは何だったのでしょうか。タラントンという言葉が意味するものがヒントです。お金の単位でもありますが、現代でいうタレントという言葉に関係しています。それは才能や能力です。つまり、それぞれの僕が預けられたのは、それぞれの能力、才能です。その才能を活用したのかがこのお話のポイントだと思います。神様から与えられた才能は、恵みや賜物ということができます。わたしたちに求められているのは、その才能、いや、賜物を活かしているかということです。わたしたちは弱い人間です。失敗や他の批判を気にして、賜物を使わないでいることも多いのかもしれません。しかし、それぞれの賜物を自分も含めて、他の人のために用いて行くことが求められているのです。賜物を活用することでわたしたちも気がつかないくらいの大きな実りをもたらせるというのです。
 わたしは、1タラントン(約6000日分の賃金)と聞くだけで、途方もないお金だと考えます。けれども、この途方もないものを神様は私たちに賜物として与えておられるのです。活用しつくせないものがたくさん私たちには与えられているように思います。何も与えられていないというのではなく、有り余るものをわたしたちは受けているのではないでしょうか。その賜物に気付くとき、わたしたちは喜んで、その賜物を活かしていきたいと思います。自分のためだけでなく、他の人のために。