司祭 ヨハネ 井田 泉
わたしは生きている
「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く。」
だれが言い出したのか、この言葉はたちまちのうちに多くの人々の心を捕えました。
はるか昔の紀元前6世紀のこと、ユダ王国はバビロニアによって滅ぼされ、大勢の人々がユーフラテス川のほとりに強制的に移住させられました。心と生活の拠り所であるエルサレム神殿も破壊されてしまいました。絶望感と投げやりの空気が支配するなかで、ことわざが大流行しています。
「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く。」
自分たちにこんな災いが臨んだのは先祖のせいだ。先祖がよくないことをしたからその報いでこうなったのだ。自分たちにはどうすることもできないし、どうしたって仕方がない。
しかし預言者エゼキエルをとおして神さまはこう言われました。
「わたしは生きている。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。すべての命はわたしのものである。」
宿命だと考えてはならない。未来がないとあきらめてはならない。
「悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。」
「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ。」
神さまは「すべての命はわたしのもの」と呼びかけて慈しみの手を差し伸べ、「生きよ」と言ってわたしたちを励ましてくださいます。新しい未来は可能なのです。神さまの熱意がわたしたちに注がれて、そこからわたしたちの新しい第一歩が始まりますように。