2011年7月31日   聖霊降臨後第7主日(A年)


司祭 サムエル 奥 晋一郎

「気弱な弟子たちを用いたイエスさま」【マタイ14:13−21】

 今週の福音書に定められた箇所はマタイによる福音書第14章13節から21節までの箇所で、「5千人に食べ物を与える」というタイトルがついている箇所です。このタイトルはマルコ、ルカ、ヨハネという他の福音書にも存在します。これらの福音書にはイエスさまがその場にいた五千人ほどの男性と、さらに人数はわかりませんが、大勢の女性たちと子どもたちにパンと魚を与えたことが書かれています。もちろん4つの福音書、それぞれに強調点も違うことからまったく同じことが書かれているわけではありません。しかし、4つの福音書、それぞれに存在するのですから、この箇所はそれほどにまでに、当時、紀元1世紀ごろの教会にとって重要なお話であったと思われます。

 イエスさまは洗礼者ヨハネの死を聞き、舟にのって人里離れた所に退かれます。しかし群集がイエス様の後を追ってきます。そこでイエスさまは深く憐れまれ、病人を癒されました。そうしているうちに夕暮れ時になります。弟子たちはイエスさまに「ここは人里はなれた場所で時間もたちました。群集を解散させてください、そうすれば自分で食べ物を買いに行くでしょう」と言います。この弟子たちの発言はごく普通の発想です。もし、私自身が弟子たちの立場なら、イエスさまに憐れんでほしいと願っている群衆に対して、冷たい考えかもしれませんが当然そのように言うことでしょう。

 ところがイエスさまは弟子たちに「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われます。弟子たちは「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」と言います。弟子たちにすれば、そんなことを言われても、どうすればいいのかと思い悩んでしまいます。

 そこで、イエスさまは弟子たちにこのパン五つと魚二匹を持ってくるように言い、群衆には草の上に座るように命じます。そして、イエスさまはパン五つと魚二匹を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡します。弟子たちはそのパンを群衆たちに与え、全ての人が食べて満腹になりました。

 この箇所で印象に残るのは、イエスさまが自らの指示「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われたにもかかわらず、「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」と事実上、無理ですと答えた弟子たちを決して見捨てなかったことです。そうではなく、イエスさまはこの自らがパン五つと魚二匹を用いて、賛美の祈りを唱え、裂いたパンを弟子たちに渡して、そのパンを群衆に配らせたのでした。イエスさまは消極的になっている弟子たちを用いて、心も体も飢えている群衆たちにパンを与えたのでした。

 このお話は現在の教会に集う信徒一人一人に伝えていることでもあります。私自身、一人一人では何もできない、困っている人を助けることはできないと消極的になることがよくあります。皆さんの中にもそのような方がおられるかもしれません。しかし、そんなことであったとしてもイエスさまは、弟子たちと同じように困っている人を助けることができない、一人では何もできないのでは、と悩んでいる一人一人を用いることによって、そこにはイエスさまが存在するのだと思います。そんな一人一人をイエスさまは用いてくださるのです。

 また、イエスさまはこの自らがパン五つと魚二匹を用いて、賛美の祈りを唱え、裂いたパンを弟子たちに渡したこと、これは私たちが日曜日ごとに行っている聖餐式(ミサ)を表しています。ですから、今週の聖書箇所の弟子たちのように、わたしたちも聖餐を受けることによって、弟子たちがパンを群衆に配ったように、私たちもお互いに助け合って、心も体も飢えている人、困っている人に手を差し伸べることができればと思います。そこに、ささやかであったとしても、本当の神様の救いがあるのだと思います。