司祭 テモテ 宮嶋 眞
「天の国のたとえ」【マタイによる福音書12章31節〜】
本日の聖書の箇所には「天の国とは?」という短いたとえ話が5種類も出てきます。
@「からし種」に似ている。(31節〜)
A「パン種」に似ている。 (33節〜)
B畑に宝が隠されているようなもの。(44節〜)
C商人が真珠を探しているようなもの。(45節〜]
D湖で網を打つようなもの。(47節〜) ということです。
「天の国」とは、「神の国」ということで、神さまが私たちと一緒にいるとはどういうことかを説明しようとしているのです。それにしても、このほかにもたくさん天の国のたとえが聖書には述べられていますから、その多様さに困ってしまいます。しかし、いろいろなたとえがあることは私たちのイメージを豊かに膨らませられるという利点もあるように思います。
では、どんなイメージなのでしょうか。@とAは共通点があるように思われます。ごく小さな種が大きく、大きく膨らんでいくというイメージです。神さまに用いられた私たちの小さな力は、大きく、大きく膨らんで豊かなものになる可能性があるという意味にとれます。Bは畑に隠されている宝が私たち一人一人のことだと仮定すると、神さまが、一生懸命宝を掘り出してくださる。すなわち私たちの力を探り出して用いようとされていることになります。C、これも私たちが美しい真珠だとすると、何とかして神さまがその宝を手に入れようと持ち物を売り払って(一人子であるイエスさまを犠牲にして)でも手に入れようとしてくださることになります。Dは、神さまがいろいろな魚を集めようとされているということから、様々な人を招いておられるとも取れます。
どうでしょうか、天の国というと、私たちが何もしないで楽しめる楽園のようなものを想像するかもしれませんが、ここでは、神さまの愛を実現するために私たちを招いて止まない神さまの姿が浮かび上がってくるように思います。神さまが、この地上に、素晴らしい国(社会)を作り上げていくためには、何より、一人一人の人間の働きを必要とされているように思われます。どんなに小さな力であっても、その一つ一つの力が、お役にたつのです。これは私の一つの解説です。どうぞ皆さんでも天の国のイメージを膨らませていただけたらと思います。