執事 アントニオ 出口 崇
「水をのませてください」
阪神淡路大震災の直後に、歌手の忌野清志郎さんが歌った「ヘリコプター」という曲があります。
「ヘリコプター 空から水をまいてくれ、今すぐこの火を消してくれ、マスコミばかりが乗ってるヘリコプター」
震災の時、ヘリコプターが何機も上空を飛びまわり、燃え広がる市街地を実況中継しているが、地上では消火活動が一向に進まない、何故消火活動にヘリコプターを使わないのかという批判が、被害にあわれた方々や、テレビを見ていた人達から多数ありました。
実際には山火事と違い、市街地でのヘリコプターによる消火活動には火災で起こる上昇気流や、少量の水による水蒸気爆発の危険があり、現実的ではなかったとのことをずいぶん後になって知りましたが、当時テレビを見ているだけの私も「なんでやらないんだ」というもどかしさ、怒りを感じた記憶があり、その曲にとても共感しました。
今回の震災による原子力発電所の火災のニュースを見ても、「なんでもっと早くに水をかけないのか、ヘリコプターを何機も使って大量に水をかけて温度を下げることが出来ないのか」と素人ながらもどかしく思っていました。
しかし、私の思いは当たり前のことですが、実際に被災されている方々、また、危険な現場で事態収束のために必死に活動をされている方々とは温度差の違うものです。
国内海外で「心を痛めている、共に祈ろう、支えあおう」という流れの中、「不謹慎」かもしれませんが、私の中に、「自分自身の痛み」として感じることが出来ない思いがあります。そもそも、このような大災害の時だけでなく、普段の生活でも、「人の痛みが分からない」です。
「水をのませてください」
日中に水を汲みに来たサマリアの女性は、宗教的に対立している民族のなかでも、更に弱く小さくされている立場の人として登場します。
サマリアの女性は、この見ず知らずの人に、私の気持ちが、私の抱えている痛みが分かるわけないと、イエス様との関わりをことごとく否定しますが、イエス様はその女性のおかれている状況や、何を求めているのかも全てご存知でした。
そして、サマリアの女性と出会ったイエス様もまた、余裕のある状況ではなく、ユダヤの宗教指導者たちから逃れるために一時ガリラヤに退却する途中の出来事でした。
励ましの言葉ではなく、まず、「水をのませてください」というお願い、助けを求めるところから関わりが始まります。
全てをご存知のイエス様が、傷を負った全ての人々と共におられ、慰めを与えてくださる。
今回の大震災で悲しみ、苦しみの中にいる方々にイエス様の癒しと慰めがあたえられることを祈り、困難な状況にある方々に私たちの出来る限りの支援を継続していきたいと思います。
そして、私たちのもっと身近にいる人たちからの「水をのませてください」と言う声や、自分自身のうちにある「渇くことのない水を求める声」に改めて耳を傾けたいと思います。