2011年2月27日  顕現後第8主日(A年)


司祭 エッサイ 矢萩新一

「人生の楽園を生きる」【マタイ6:24〜34】

 温かい日差しが差し込む日が増え、三寒四温ですこしずつ春に向かっていくことを実感します。今年はイースターが4月24日と遅い時期にあたるので大斎節に入るのも遅く、顕現後の季節が8週間も続きます。従って顕現後第8主日は大変珍しい主日です。
 そんな、今日の福音書は、「だれも、二人の主人に仕えることはできない。…あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」と、私たちの心がどこに向いているのかを問いかける言葉で始まっています。神さまと富の両方に仕えるということは、どんなに器用な人でも不可能だということです。私たちは何を生き方の中心としている日常生活を送っているでしょうか。どんなことに関心を持ち、貴重な時間や与えられた能力を費やしているでしょうか。私たちは、自分の中で最優先にしていることや大切に思っているものに、「仕えている」ことを先ずは自覚したいと思います。
 イエスは、野の花や空の鳥を示して、「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」と教えます。しかし、思い悩むなと言われても、現実的な思い悩みから逃れられないのが人間のさがです。
 忙しすぎる現代人である私たちは、パソコンや携帯に向かい、その情報を鵜呑みにして、心配事をよけいに増やしてしまっているように思います。また、なかなか抜け出せない不況や、不安定な政局による先の見えない日本の社会状況の中で、「明日のことまで思いわずらうな」と言われても、明日のことが分からない不安を覚え、悲観的になってしまうことが多いのではないでしょうか。
 土曜日の夕方に「人生の楽園」というテレビ番組があります。がむしゃらに働いて、ふと立ち止まった時、別の人生を歩いてみたい…。心からいいなと思える充実した時間を過ごしたい…。という大人に向けた番組です。「人生には楽園が必要だ」そんな第2の人生を歩んでいる人たちを紹介する内容です。ゆったりとした時間の中で、自分のやりたいことをじっくりと実現していく、そんな人生にあこがれを感じる人は少なくないと思います。ここで実現していくのは自分自身の夢ですが、そこには神さまの意志が働いていると、私たちは感じたいと思います。私たちはすでに神さまが支配する「神の国」に生きているわけですから、「人生の楽園」にすでに生かされているとは考えられないでしょうか。私たちが、ゆったりとした時間の流れに身を委ねたり、大自然の中に身を置いてみることにあこがれを抱くのは、命の本来の営みに目を向け、何か自分の力だけではなし得ない大きな力に包み込まれていることを感じるからではないでしょうか。
 明日のことを心配し始めると、きりなく思いわずらいが湧いてきます。それならば思い切って、「明日のことまで思い悩むな」というイエスの言葉に聞き従ってみることによって、切り開ける人生もあるのではないでしょうか。
 神さまに仕える生き方、それは、神さまを中心とした信仰生活であることを、今日の福音書から学びたいと思います。そして、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」、そう言えるような人生の楽園を、神さまによって生かされていることに感謝し、歩んで行ければ素敵だと思います。