2011年2月6日  顕現後第5主日(A年)


司祭 サムエル 奥 晋一郎

「光を輝かすとは」【マタイ5:13−16】

 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイによる福音書 第5章14節−16節)

 上記の聖書のみ言葉はイエスさまがイエスさまに従ってきた弟子たちに山の上で語られた言葉です。イエスさまは自らに従ってついてきた弟子たちに「あなたがたは世の光である」と言われます。さらに、彼らをともし火の光にたとえ、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と言われます。

 イエスさまに従ってついてきた弟子たちはどのような人であったでしょうか。上記の言葉だけを見れば、日ごろから、彼らはイエスさまに従いついてきているので、立派な行い、すなわち日々祈り、日々聖書の勉強を行っていたのでしょうか。世の中の人から尊敬されている人たちだったのでしょうか。

 イエスさまがこの話を行った場所はユダヤ北部のガリラヤ地方にある山の上です。イエスさまが活動されていた当時のユダヤの政治的、宗教的支配者の多くが住んでいたのはユダヤ南部の都市、ことに首都エルサレムでした。当時の上流階級の人が少ないガリラヤ地方に住んでいた弟子たち、この時点ではペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人ですが、彼らはいずれもガリラヤ湖で魚をとる漁師でした。

 これらのことから、弟子たちがそれぞれ違った賜物があったと思いますが、決して、日々立派な行いをする人、すなわち世の人々から尊敬されている人びとではなかったと思われます。彼らは、イエスさまから「私についてきなさい、人間をとる漁師にしよう」と言われてイエスさまに従っていました。そこに何の資格も必要ありません。ただ、イエスさまの呼びかけに答え、従っただけでした。

 そんな弟子たちに対して、イエスさまは「あなたがたは世の光である」、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と言われました。イエスさまは弟子たちにそれぞれの賜物を生かして、それぞれが、それぞれの光を輝かすように、イエスさまのこと、神様のことを伝えて欲しいと願われました。漁師であること以外、特に優れたものを持っているわけでもなく、人から尊敬されるわけでもない彼らに、イエスさまはイエスさまのこと、神様のことを伝えて欲しいと願われたのでした。

 このイエスさまが弟子たちに「あなたがたは世の光である」、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と言われたこと、これは私たちにも言われていることです。しかし、この言葉だけ聞くと、わたしたちは、光を輝かすようにイエスさまのこと、神様のことを伝えるなど、恐れ多く、そのような人間ではありませんと言いたくなってしまいます。そのようなことはもっと、人から尊敬される立派な人が行うべきであると思ってしまいたくなります。

 しかし、イエスさまが「あなたがたは世の光である」、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と言われた弟子たちは人々から尊敬される立派な人ではありませんでした。ただ、イエスさまに言われて従ってきただけでした。イエスさまは弟子たちと同じように私たちにもそれぞれの賜物を生かして、それぞれがそれぞれの光を輝かすことを願われています。だからこそ、私たちはささやかな光を輝かすように、私たち一人ひとりの賜物を活かして、ささやかにイエスさまのこと、神様のことを伝えていくことができればと思います。