2011年1月23日  顕現後第3主日(A年)


司祭 バルトロマイ 三浦恒久

天の国は近づいた【マタイによる福音書4:12〜23】

 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ。(マタイによる福音書4:16)

 わたしの脳裏に、走馬灯のようによみがえっては消える、幼い頃の思い出のシーンがあります。
 その一つは、父親と一緒に、夜道を歩いているシーンです。家々の明かりが消え、街頭もない、舗装されていない道を、月明かりの下、ただ黙々と歩いているシーンです。あの時の月明かりが、妙に明るかったことを覚えています。それだけ周囲が暗かったからなのでしょう。闇と光のコントラストが今も忘れられません。
 もう一つは、少年時代、友達と一緒に渓流釣りに出かけ、山奥のトンネルに迷い込み、やがて前方に、かすかな光を見出した瞬間のシーンです。トンネルの中は漆黒の闇で、手探りで恐る恐る前へ進みます。やがて前方に、かすかな光が見えたあの瞬間のことを、今も鮮明に覚えています。
 闇と光のコントラスト。これまでのわたしの人生において、何度となく繰り返し思い出されたこれらのシーンは、わたしに、暗闇の中で輝く光の意味を問い続けさせてくれました。

 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ。」
 イエスのガリラヤ宣教の時がやってきました。それは、洗礼者ヨハネが逮捕された直後のことでした。状況は緊迫していました。この世の権力が、イエスという獲物を前にして、牙を研ぎ始めていたのです。
イエスの宣教は権力の象徴であるエルサレムではなく、貧しいガリラヤで行われました。イエスの目は、強さではなく弱さに注がれました。イエスはガリラヤ中を回り、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされました。

 「天の国が近づいた」イエスの宣教の内容は、この言葉に尽きます。この祝福にみちた宣言は、イエスの来臨によって実現しました。イエスは暗闇に住む民の希望の光として、死の陰の地に住む者の命の光として来られたのです。
 かつてわたしが体験した、あの闇と光の体験は、後にわたしがイエスと出会うための備えだったのかもしれません。「天の国が近づいた」この言葉を聞くと、わたしの心に光が射し込んで来ます。うれしくなります。元気が出てきます。なぜなら、希望の光として、命の光として、イエスがこの世に来られたからです。イエスがわたしのところに来てくださったからです。ハレルヤ!