2011年1月16日  顕現後第2主日(A年)


司祭 アグネス 三浦恵子

 最近涙もろくなってきたと思うことがあります。例えば、大雨による災害による被災者のことで、流された兄のランドセルを抱いている弟の姿をテレビで見た時でした。又、海や川での事故が毎日のようにニュースで耳に入ってきた時です。涙が止まらないと同時に、心に消化しない大きな石を飲み込んだような気持ちになるのです。ある信者さんがチャプレン室を訪ねてこられた時でした。どうして神さまは、多くの人の命が失われることを見過ごされるのか、ということを質問されました。私は、神さまには大いなるご計画がおありでも不幸な出来事には怒り、悲しまれている方だと思うということを伝えました。
 「汚れなき悪戯」という映画をご観になった方がおられるでしょう。1952年のスペイン映画です。リバイバルで、小学生の時に映画館で、又数年前テレビで見ました。「マルセリーノ」という男の子が主人公です。「マルセリーノ」を歌ったテーマソングが映画を印象つけました。マルセリーノは孤児として修道士たちに育てられました。5歳になった頃、母親のいない寂しさと、同年の友達がいないため、使わなくなった十字架に磔刑にされているイエスさまとお話をするようになりました。2人だけの時、イエスさまは十字架から降りてマルセリーノを抱くのです。マルセリーノは「お母さんに会いたい」と訴えるのです。イエスさまは「どうしても会いたいかい?」と確認すると、「じゃー、お母さんの所へ連れて行ってあげよう」とおっしゃって、マルセリーノは天に召されるのです。マルセリーノの目を閉じた顔は穏やかで幸せそうでした。
 私たちは、命の終わりをだれも知らないし、神さのみ心を全て知ることは出来ません。ヨハネによる福音書1章41節にイエスに従ったアンデレが「メシアに出会った」とペテロに伝え、イエさまのところへ連れて行きます。神さまに出会い向き合った者は、神さまに従う者となり「神を証しする者」に変えられていきました。神さまは、私たちに命を与えるためにこの世界へイエスさまを送られました。イエスさまは、悲しみにある人と共に涙を流される方なのです。そして、神さまを証しする人を永遠の命へと導き、再会を喜ぶ者へと変えて下さいます。