2010年12月5日  降臨節第2主日 (A年)


司祭 サムエル 小林宏治

「悔い改めよ。天の国は近づいた」【マタイによる福音書第3章1節−12節】

 クリスマスが近づくと、何だか嬉しくなります。けれども、クリスマス前のこの時期、聖公会では紫の期節として守られています。この期節はアドベントともいわれます。この期節では、イエスさまの誕生を待つという一面と、イエスさまが再び来られる、再臨への備えという一面も併せ持たれます。
 聖書の個所は、小見出しでは「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」となっています。
 イエスさまが活動を始められるよりも早く活動を開始し、洗礼者ヨハネは、救い主が来られることを預言し、「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」と伝えました。
 洗礼者ヨハネの言葉には、救い主が来られるという喜びと同時に、来られた時に、迎えるにふさわしい準備を怠ってはいけないという警告も含まれていたのです。すべてがよき方向に、嬉しい知らせが来たようにも思えますが、イエスさまが来られる準備は、ただ喜びというわけでもないのです。
 「悔い改めよ」と洗礼者ヨハネは語ります。「斧はすでに木の根もとに置かれている。よい実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」と言われます。また「悔い改めにふさわしい実を結べ。」と言われます。
 天の国は近づきつつあるけれども、ただその時を待つのではなく、その準備をしなさいというのです。救い主を待つのに、特別な人はいないのです。すべての人が、悔い改めて、ふさわしい実を結ぶようにと言われます。形式的な悔い改めでなく、み心にかなった悔い改め、その姿勢が求められています。
 洗礼者ヨハネは、言葉と行いを通して、人々に救い主の到来を告げました。その姿勢は、洗礼者ヨハネが語った悔い改めにふさわしい実をむすぶということの実践として示されています。すべての人々に到来する救い主です。けれども、救い主を迎えるにふさわしい「まつ」という姿勢をわたしたちは求められています。積極的なとらえ方をすれば、救い主を迎える準備が整えられるほど、大きな喜びがそこに待っているというのです。