執事 マタイ 出口 創
親の心、子知らず【ルカ17:5−10】
評論家の俵萌子氏がわが子との問題に悩む友人に、「親孝行は本能ではない」とアドバイスしたところその友人は、「親が子を愛するのは本能だけど、子が親を愛するのは本能ではない。親は子のために死ねるけど、子は親のために死ねないんだ」と言ったそうです(香山リカ『しがみつかない生き方』幻冬舎より)。
聖書は、親と子の愛情関係を用いて、神さまを親、イエス・キリストを親の心を完全に知っている子、そして私たちを乳児のように親の心を分からない子として描いて、神さまの愛を示し続けています。
『信仰』とは、私たちが誰の子で、誰の弟妹なのかをちゃんと知っていることなのではないでしょうか。だから、「増して」(5節)いただくようなものではないのだと思います。
親がわが子に最も望むものは何ですか? それと同じものを、もっと強く、もっと深く、もっと長く、神さまとイエス様は、子であり弟妹である私たちに望み、また語りかけ続けておられます。「いついかなる時も、ただ、在れ」と。