2010年9月26日  聖霊降臨後第18主日 (C年)


執事 ヨハネ 荒木太一

「わたしを憐れんでください。」【ルカ16:19−31】

 これは死後の世界の叫び声。といっても稲川淳二ではありません。これは地獄に来た金持ちの叫び声。金持ちは自宅の前で苦しむラザロの声を聞かなかったのです。そして乞食のラザロは天国へ昇りました。そうしてラザロが生前に門前で叫んだ言葉を今、こうして金持ちが地獄で叫んでいるのです。

 しかし、天国と地獄は深い溝で隔てられ、助け合いはできません。憐れみを行うことができるのはこの世だけなのです。死んでからでは遅いのです。だからこそ金持ちは「オレのようになるな。今日、お前は憐れみを忘れるな」と生きている私たち兄弟に訴えるのです。憐れみを忘れて生きた人の、地獄で苦しむ声が語りかけてくるようです。「憐れんでください」と。

 神の憐れみに耳を傾ければまた、この世の生き地獄で苦しむ人々の声も聞こえてくるはずです。神はラザロのような苦しむ人の助けだからです。一体誰なのでしょう、私たちの心の門で憐れみを求めて叫ぶのは。

 憐れみの耳を持たないものは、イエスが死者の中から復活して会いに来てくれても無駄だ、何も聞こえない、と言います。
 神よ、どうか、私たちを憐れんで、死者から復活したあの方の声を聞く耳をお与えください。どうか、門の前で憐れみを求めて叫ぶ声を聞きとることができますように。どうか、神よ、どうか「わたしを憐れんでください。」