司祭 テモテ 宮嶋 眞
「負けを認めることから始める」
8月15日は「敗戦記念日」です。「敗戦」という言葉にこだわりながら使っています。「終戦」という表現では、戦争が自然に終ったように思えます。それでは歴史を誤ったまま受け止めてしまうからです。実際には無条件降伏だったのです。そのことを忘れてはならないのです。
この日に先立つ15年、あるいはもっともっと前から、私の大好きな国日本は、残念な事に朝鮮半島、中国、東南アジアに「聖戦」と称して侵略戦争を仕掛けていました。そして始めの頃、いくつかの戦闘で勝利していましたが、次第にその化けの皮がはがれ、敗れたのです。連合国に負けたわけですが、侵略したその結果、私たちの国は朝鮮半島、中国、東南アジアの人びとに敗れたのです。これらの国でなくなった人は、日本人の戦争犠牲者の約10倍ともいわれています。
8月15日は、日本人の戦争犠牲者のことだけを憶えるのではなく、日本が仕掛けた戦争によって失われたこの10倍もの数の人の命とその遺族のことをも心に刻む日でありたいと願います。
第一次大戦の時には戦勝国は敗戦国に莫大な賠償金の請求をしました、戦争を行うことで相手方に多くの被害を与えたからです。この過重な賠償金が第二次大戦を生んだとも言われ、その反省からか、第二次大戦後の日本に対してはそのようなものはありませんでした。無条件降伏ですから、どんなひどい条件をつけられてもそれに従わざるを得なかったのですが、そうではなかった。その意味で「ゆるされた」と言えます。
そして、それだけでなく世界の国に誇れる平和憲法を与えられたのです。戦争に出かけたくなるようなことがあったにもかかわらず、この憲法のおかげで、第二次大戦後に日本は戦争に踏み出すことなく今に至りました。憲法によって平和が守られたのです。
この日本の歴史全体、世界の歴史全体のなかに、神さまの歴史を導かれる意志をはっきりと感じないでしょうか。かつての日本、また今のアメリカが進んでいこうとしてきた武力による世界の制圧という道が大変危険なものであり、また、そのようなことが成功するはずがないことは、容易に見て取れるはずです。
「力」や「剣」では平和はもたらされないということは、2000年前のイエス・キリストがすでに明確に宣言しておられます。そうではなく「愛」の道、「互いに相手を大切にする道」しか平和への道筋がないことを示されています。
戦争を知らない世代が65歳を迎える今日、私たちは「戦争に負けたこと」を憶えながら、侵略という誤った道を進む事を糾された経験を持つものとして、これを大切に語り継ぎ、平和を求めて歩む事にこそ祈りを集中し、力をつくしていきたいと願います。