2010年5月9日  復活節第6主日 (C年)


司祭 セオドラ 池本則子

想像力が平和を作り出す

 5月3日は憲法記念日。この日を中心に日本各地で憲法や平和に関する集会が行われたと思います。四日市でも4月29日に『沖縄を考える』というテーマで、「ピースネット市民の集い」が行われました。講師には現在ジュゴン訴訟原告団事務局長で名護市の市会議員も務める東恩納琢磨(ひがしおんなたくま)さんを迎え、ジュゴン訴訟と普天間基地問題の現状についてのお話を伺いました。その中で『みんなが他人事だと思っている間は解決しない。自分自身のこととして考えたら間違いであることがわかるはず』という言葉が印象に残りました。普天間問題は政治が解決することで、私たちが解決できることではない、と思っていないでしょうか。また、すぐそばには基地がなく、あるいはこれからも作られることはないだろうから、関心はあっても自分のこととして絶対に何とかしないといけないという切実な思いになることはないかもしれません。しかし、それでは基地問題は絶対に解決しない、と東恩納さんは言われます。

 『わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える』

 イエス様は世を去る前、平和の約束をしてくださいました。イエス様のこの世での働きはすべて平和のためでした。イエス様そのものが平和でした。神様はご自分が造られた全ての人が平和に生きることを望まれ、そのために働いておられます。それなのに、この世の社会構造の中で貧しく弱く小さくされ、当り前の生活ができない人たちが大勢います。イエス様はいつもそのような人たちに心を向け、神様の業を行い、神様の思いを伝えてきました。イエス様に愛され、またイエス様を愛している人たちは、イエス様がこの世に与えてくださった平和を知っています。イエス様の言葉を守っているなら、イエス様の心を持っているなら、イエス様の平和がどのようなものであるかを知っています。イエス様はこの世での働きを終えた後、最後の締めくくりとして受難の道を進みました。すべての人を救うために、十字架上でその身を犠牲にして献げ、救いの業を成し遂げられました。イエス様が最後の犠牲者になるはずでした。しかし、イエス様を愛さない者たちが、イエス様の生き方に倣おうとせず、平和な世界を作るのを妨げ、戦争や暴力などでイエス様の十字架以降も多くの犠牲者を生み続けています。

 それではイエス様が約束された平和を私たちはどうしたら実現していくことができるでしょうか。上記の東恩納さんの言葉に私はヒントをもらいました。「他人事」、それは自分とは関係ないと思うこと、また、当事者の思いをわかろうとしないことなのだと思います。私たちは自分と遠く離れていること(場所も心も)や自分の環境や体験にない事柄は理解しにくいし、関心のないことは他人事になりやすいと思います。どんな人に対しても、どのような状況でも、全ての人・全てのことを完全に理解し、同じ思いになるのは人間には不可能です。しかし、人間にできることがあります。それは想像力を働かせるということです。『自分自身のこととして考える』ためには想像力が必要だと思います。もし自分がそのような立場だったら、状況だったらどう思うか、どうするか、そしてイエス様なら?と想像してみることです。その時、単なる他人事では済まなくなるのではないでしょうか。

 平和を作り出す第1歩。それは想像力を持つことなのかもしれません。