2010年5月2日  復活節第5主日 (C年)


司祭 ヨハネ 井田 泉

子たちよ、あなたがたはわたしを捜すだろう

「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。」ヨハネ13:33

 最後の晩餐の席でイエスはこのように弟子たちに言われました。イエスが去って行かれることを知った弟子たちは、不安と悲しみに包まれていました。
それを察したイエスは、「子たちよ」と弟子たちに呼びかけられます。ここをルターは言葉を補って「愛する子たちよ」と訳しています。世に残していく弟子たちは、イエスがこの上なく愛しておられる(ヨハネ13:1)者たちなのです。

 イエスは、弟子たちの行くことができない遠いところに行ってしまわれる。彼らはイエスを捜すでしょう。しかし自分からイエスを見つけることはできないのです。

 それから三日目の日曜日の朝、マグダラのマリアはイエスの墓の前に立って泣いていました。イエスの体がなくなってしまっていたのです。
 後ろから呼びかける声がします。
 「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」
 イエスを捜しているのです。最後の晩餐のとき、「あなたがたはわたしを捜すだろう」とイエスが言われたことが現実になっています。

 マリアは、呼びかけているのは園丁だと思って言いました。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

 「マリア!」と呼ぶ声に振り向いてみると、それはイエスご自身でした。「ラボニ!(先生)」

 自分を切なる思いで捜してくれているマリアを、イエスはこの上なくいとしい者と思われたでしょう。

「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」ヨハネ14:23
 マグダラのマリアは、三日前にこのように言われたイエスの言葉を、後に思い出したかもしれません。

 イエスはわたしたちの心配と悲しみをご存じです。けれどもイエスはわたしたちをこの上なく愛しておられ、イエスのほうからわたしたちを捜し、わたしたちの名を呼んでくださいます。
イエスを捜し求めましょう。そうするなかで、わたしたちを捜し見出してくださるイエスに出会うことができますように。