2010年4月18日  復活節第3主日 (C年)


執事 ヨハネ 荒木太一

「神よ、誉あるみ子は、パンを裂くみ姿のうちに、ご自身を弟子達に示されました。」(復活節第三主日特祷)

 復活なんてありえない。とうてい理解できない。なにせ、死んだ人がよみがえって今ここに生きているというのですから。

 しかし、人間の思いや期待をはるかに超えて、私はこの神の事実を信じ、それを生きてきました。洗礼と聖餐によってこの神秘の一部となり、キリストの体として生きることを信じてきました。そして、今日の特祷や福音書のように、イエスと共に食する聖餐式で、復活のキリストに出会い、その神秘の力に生かされるよう祈ってきました。

 このありえない事実としての復活は、ありえないほどに罪と死に病んでしまった私を救う奇跡なのだと考えます。私だけでなく、ありえないほどに堕ちてしまった私達人類の人間性を、キリストはその復活によって回復してくださるのです。

 キリストの復活は、私達自身の人間らしさの復活でした。それはイエス様が真の人間であったからです。イエスが復活するというのは、死や病や悪によって歪められ傷つけられた人間性が回復されることです。

 キリストの復活とは、人間の命が、直接神と結びついていることでしょう。神との直接的な関係によって人間が最も人間らしく、自分が最も自分らしく、あなたが最もあなたらしく生きている状態です。復活の「復」は、回復の「復」なのです。理解できない神秘が、最も身近にある自分らしさを回復してくれるのです。

 キリストの復活に与りましょう。一緒に礼拝で祈りましょう。神の命は死に打ち勝ったのですから。