2009年11月22日  降臨節前主日 (B年)


司祭 セオドラ 池本則子

人間の尊厳を回復してくださる王であるイエス・キリスト

「永遠にいます全能の神よ、あなたのみ旨は、王の王、主の主であるみ子にあって、あらゆるものを回復されることにあります。どうかこの世の人びとが、み恵みにより、み子の最も慈しみ深い支配のもとで、解放され、また、ともに集められますように。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン」(聖霊降臨後最終主日特祷)

 11月22日は教会の暦における1年の最後の主日になります。この日には「キリストによる回復」という特別な名称がつけられています。それは特祷で、キリストがこの世界のまことの王として、あらゆるものを回復し、苦難から人々を解放してくださり、最も慈しみ深い支配のもとにすべての人を集められ、まことの共同体としての神の国を完成してくださる、ということを祈るからです。

 奇しくも、昨年のこのホームページ説教の1年最後の主日も私の担当でした。その説教の中で私は「互いに愛し合いなさい」ではなく、「互いに大切にしなさい」と書きました。あまりにも人の命や生活が軽んじられ脅かされている現状に対して、すべての人と愛し合うのは難しいけれども、人を大切にすることならできるのではないか、そこから平和への第1歩が実現するのではないか、という思いからでした。

 しかし、1年経った今、この世界はどうなっているでしょうか。相変わらず、世界のいたるところでは殺し合いが続き、日本でも人間らしい生活を送ることが困難になっている人たちがたくさんいます。自殺者もどんどん増えています。人が人として大切にされるどころか、物のように扱われています。イエス様が降誕の出来事によって始められた神の国からますます遠ざかっていっているように思います。毎日暗いニュースを見るたびに、一体この状態をどうしたら止めることができるのだろうかとやりきれなくなります。「殺された」という文字がなくなる日が来て欲しいと思うのですが、それは理想でしょうか。現実にはありえない夢・幻なのでしょうか。

 しかし、私は希望を持っています。それは「キリストによる回復」です。すべての人がイエス様のまなざしをもって人とかかわる時、そこに神様の力が働くのではないかと思うのです。聖書はろばに乗ってエルサレムに入城したイエス様を「ホサナ、ホサナ」と歓呼している群衆を描いています。人々はイエス様を王として迎えました。しかし、その王としてのイエス様の姿は、武器を手にして戦う軍馬に乗った強い王様ではなく、謙虚で柔和なろばに乗ったすべての人を愛し、大切にする優しい平和の王様でした。

 平和の王であるイエス・キリストは十字架の道を歩みます。それは、神様がよしとして造られたこの世界を人間のエゴによって破壊してしまったあらゆるものを回復されるためでした。十字架の道を歩むイエス様こそが私たちの人間性を、人間の尊厳を回復してくださる、人類を平和へと導く唯一の王の王、主の主なのではないでしょうか。私たちの希望はイエス様の他にはありません。