執事 サムエル 奥 晋一郎
「イエスさまが仕えてくださっている」【マルコ 9:30−37】
イエスさまと弟子たちはガリラヤ湖北部の街カファルナウムにやってきました。家についてからイエスさまは弟子たちに「何を議論していたのか」、と質問します。弟子たちは黙って答えません。弟子たちは誰が一番偉いかを議論していたので、黙っていたのでした。イエスさまはそのことをご存じでした。そこでイエスさまは12人の弟子たちを呼び寄せて言われました。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と。
弟子たちにとってこのことは何のことかわかりません。弟子たちにとってイエスさまはこの世的な支配者となって、自分たちを救ってくださる方であると信じていました。そのイエスさまが先のものが後となって、すべての人に仕える者になるようにと言われたのです。またその前に、イエスさまは弟子たちに自らが人の手に渡され殺される。殺されて3日後に復活すると言われました。自らの地位や名誉を求める弟子たちにとってそれは認められることではありませんでした。弟子たちはイエスさまの言葉を受け止めることができなかったのです。弟子たちが自らの地位や名誉を求めているという気持ちを知った上で、イエスさまはあえて「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と言われたのでした。
このイエスさまが弟子たちに言われた言葉、これは私たちにも言われている言葉です。イエスさまは私たちにもすべての人の後になり、すべての人に仕えるようになりなさいと言われています。また、イエスさまは私たちが完全に、いつでもどのような時も、すべての人の後になり、すべての人に仕えるようになりきれないことも知っておられます。弟子たちが話し合っていたように、誰が一番偉いのか、という地位や名誉を求めてしまう、そんな時があることも知っておられます。
だからこそイエスさまはまずイエスさまご自身が、自らが人の手に渡され殺される、十字架に架かられたのでした。このイエスさまの十字架はいちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になる行為です。また、世界中のすべての人に仕える行いです。わたしたちがすべての人の後になり、すべての人に仕えようとする前に、まずイエスさまが十字架によって、すべての人の後になり、すべての人に仕えてくださっています。
毎週日曜日、私たちはこのことを覚え礼拝します。イエスさまの十字架によって、すべての人が神様から愛された尊い存在であることを覚えます。イエスさまの十字架によって、わたしたちは神様と人々に仕える存在、すべての人に仕える存在へと変えられてきます。