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私達の教会暦では、「復活節第7主日」はもう一つ「昇天後主日」という名前を与えられています。聖書日課は特に「昇天」にかかわるところが選ばれてはいませんが、特祷の方はこの「昇天後主日」という名前にふさわしい祈りが選ばれています。日本の教会では、「昇天日」は、日曜日に重ならない限り休日ではないので、私はたいてい、この主日には、この特祷によって「主の昇天」にかかわるお話をすることにしています。 |
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昇天日の特祷は、このように祈られます。 み子イエス・キリストに永遠の勝利を与え、天のみ国に昇らせられた栄光の王なる神よ、どうかわたしたちをみなしごとせず、聖霊を降して強めてください。そして救い主キリストが先立って行かれたところに昇らせてください。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン |
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私は、この毎年この特祷について話をする度にこの「わたしたちをみなしごとせず」という言葉に心を動かされます。この「みなしご」というインパクトのある言葉に、あれこれあれこれ思いをめぐらせてしまうのです。 |
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今年は、この「わたしたちをみなしごとせず」という言葉が、私の幼稚園の園児の語った一言に私の心の中で重なりました。 |
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どんな言葉かと言いますと、「お母さんは二階から見てくれている」という言葉なのです。その子はこの4月に私の幼稚園に3歳児として入園した男の子なのですが、自分の家は幼稚園から結構離れたところにあるのですが、おばあちゃんの家が幼稚園の真向かいにあるのです。 |
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新入園の園児たちはそれぞれが、お母さんや自分の家と離れるという大きな不安を乗り越えなければなりません。いろいろな子どもがいろいろな仕方でこの不安を乗り越えるのですが、この子の場合お母さんがこの子と幼稚園の玄関で別れる時に、「お母さんは二階から見ているからね」と約束をしてわかれたのです。 |
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その約束をした子は、慣れない幼稚園で不安になった時は、自分で自分に「お母さんは二階から見ていてくれる」から大丈夫と言い聞かせながら頑張っていたのですね。 |
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私が、その子からこの言葉を聞いたのは、二階の礼拝堂で幼稚園のお礼拝の準備をしていた時でした。普段は、子ども達には、「二階の神様のお部屋」にはお礼拝の時以外は入ってはいけませんと指導をしているのですが、その子が私が礼拝の準備しているときに一人でそっと階段を上がって入ってきたのです。そして、私がどうして上がってきたのときいた時にその子が、「お母さんが二階から見てくれている」と答えたのでした。 |
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いつもは、心の中で「お母さんは二階から見ていてくれる」から大丈夫と自分で自分に言い聞かせながら頑張っていたのですが、この時はそれを確かめたくなったのですね。礼拝堂の窓の真向かいがおばあちゃんの家の二階の窓なのです。 |
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あいにく、その時はおばあちゃんの家の二階の窓は閉まっていたのです。私は、その子に「お母さん、ちょっと下におりてったのかもしれないね。すぐ戻るよ。でも、はるき君はやっぱり下にいってみんなと遊ぼうね」と言うと、それで納得して一人で階段を下りていったのでした。 |
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「昇天」の出来事を経験した弟子達は本当に不安だったのでしょう。本当に「みなしご」のような気持ちだったのでしょう。自分で自分の心に、イエス様は行ってしまわれたけど、天からいつも自分たちを見守っておられると、何回も何回も自分で自分に言い聞かせていたのだと思います。そういう不安な時を十日間すごした後、聖霊が与えられて、弟子達は見違えるように元気に活動を始めます。 |
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もう弟子達は、天を見なくてもいいのです。自分に与えられた仕事を自分の場所で全力をつくしてやっていけばよいのです。聖霊がいつも弟子達と一緒におられるからです。 |
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弟子達は、この時から本当に自立するようになったのです。もうイエス様に頼り、もたれかかることなく、しかし、イエス様が教えた道を自分たちの道としてしっかり歩み始めます。この弟子達の姿の移り行きが感動的です。 |
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あの「はるき君」は、入園から2ヶ月たったこのごろは、すっかり幼稚園になれて、新しいお友達と一緒に毎日園内を元気に飛び回っています。もう「お母さんは二階から見ていてくれる」という言葉も言わなくなったみたいです。 |