2009年4月26日   復活節第3主日 (B年)

 

司祭 ヨシュア 柳原義之

ご復活の主の臨在感

 3月10日夜遅く、母から父の急逝を告げる電話があった。17年ほど前に脳溢血で半身が不自由になった母は、一生懸命父を呼び、不自由な手で助け起したがすでに返事はなく、風呂の栓を抜いて救急通報をしたという。救急隊もすでに搬送することができないので、警察に引継がれた。この間、舞鶴を発ち、高速道で救急隊、警察と電話のやり取りをしながら実家へと向かった、滋賀に住む姉も駆けつけた。
 車を走らせながら、浴槽での死亡ということで、最初に赴任した教会でのことを思い出していた。警察は事故、事件の両方を考え、身近にいた者に質問をする。どのように発見したか、仲は良かったか、保険金を最近掛けたことはないか、などで、思い浮かべた件も夫が亡くなり、ただでさえ狼狽している妻に対して質問があり、「失礼なことばかり訊いて!」とずいぶん怒っておられた。同様のことが行われるので、パニックにならないかと心配したが先に駆けつけた私の息子や姉がいてくれて安心した。また女性の警察官もおられ、同様の質問はするものの、ずいぶん母のことを心配してくれたようだ。
 実家に着いたときにはすでに警察に遺体が移され検視を終えたところであった。葬儀屋への手配をし、警察の安置所に引き取りに行った。その後は薄明近くまで打ち合わせをし、通夜、葬儀が営まれた。父の逝去の実感も、泣く間さえもない中で次から次へと課題が出てくる。残されたものの整理、特に銀行関係のものは父が母を「老々介護」していたこともあり、どこに何があるのかが分からず、片付けの際に一つ、二つと見つかった。そう多くはないのだが、自分が先に逝っても母が困らないようにと考えていたことがよく分かった。あちらこちらへの区役所に走り、保健事務所や福祉課に行っては、父のものの手続きと母の介護などの手続きに今も追われているのが実際のところだ。
 よく葬儀の最後の挨拶で、「わたしや家族の心の中に生きています」と言ったり、慰めの言葉の中でそんなことを言ったりする。しかし、実際にはそんな実感がないのが現実で、「千の風になって」の歌詞のようにはならないものだと思わされている。
 イエス様が十字架に架かられ、人の罪の贖いをなしとげ、新しい命によみがえられたことを私達はほんの少し前にお祝いをした。実際にそこにいた弟子達はどうだったのだろう。父の逝去後1ヶ月してイースターを迎え、私はそんな弟子達の言動に心を留めている。
 よみがえりの朝、一番に駆けつけた女性たちは「恐ろしかった」と思い、残された男の弟子達は「部屋に鍵をかけ」ており、トマスに現れて下さったときにも同様に部屋に鍵をかけていた。また、今週の聖書にあるように弟子達の中に(何度目か?)現れてくださったにも関わらず、やはり弟子達には幽霊を見ているようにしか思えなかった。だからこそ「何か食べ物はあるか」とみんなの前で食事をされた。リーダーとしてのイエスがいなくなったという喪失感、絶望、無念、脱力感・・・、そんなものが弟子達の言動からうかがえる。
 聖霊降臨日の出来事は弟子達に新たな力を得させ、イエスが約束されたように弟子達を世界へと歩きださせた。ご復活ご50日を経た時のできごとだが、実際には弟子達それぞれの時間で動き出したのではないかと思う。イエスに頼ってばかりいるのではなく、自分が「イエスを生きよう」と思い、イエスの臨在感をしっかりと、完全ではないにせよ受けとめられたからこそ、彼らの活動は始まった。

 父の魂がどこにあるか、その疑問さえ浮かばない中で日々の生活が続いているが、独りになった母を支えようと姉や家族が関わる中で、父の私達家族に対する思いや母を介護し続けた思いを感じ取っている。いつの日か、かの歌の歌詞のような気持ちになれるのかもしれない。
 今年のイースターは自分にとってそんな祝いの日であった。イースターおめでとうございます。