司祭 バルトロマイ 三浦恒久
イエスのもとに歩み寄る人【マルコによる福音書1:40〜45】
イエスはガリラヤ、カファルナウムを巡回し、病気を患っている人や悪霊に取りつかれている人の苦しみをつぶさに見、その叫びを聞き、その痛みを知り、彼ら彼女らの命を回復されました。
イエスは出会いを求めて歩き続けました。助けを必要としている人のところへ、自らの足で出かけました。
また、イエスとの出会いを願い、助けを必要としている人をイエスのもとへ連れてくる人々がおりました。「人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た」(マルコ1:32)
さらにまた、イエスとの出会いを切望し、自ら重い足を引きずりながら、必死にイエスのもとに歩み寄る人もおりました。
重い皮膚病を患った人がいました。この人は隔離された状態の中でその領域を越えて、イエスに近づいていきました。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」この人は、神の御心とはただ一つ、それは永遠の命を与えてくださることだと信じていました。この人の切なる思いが、イエスの憐れみの心とふれ合い、スパークしました。その瞬間、奇跡が起こりました。神の御心は成就しました。
「「※啄同時」(そったくどうじ)と言う言葉があります。「※」(そつ:「口」に「卒」)とは、鳥の雛がかえろうとする時、雛が卵の殻を内側からつっつくことです。「啄」(たく)とは、母鳥が卵の殻の外側をつっつくことを意味します。卵から雛がかえる時、雛と母鳥の呼吸がぴったり合って、内側と外側から卵の殻をつっつき合った時、殻は割れて雛がかえるのです。
あなたのビジョンは何ですか。あなたの夢は何ですか。あなたは何を求めていますか。あなたはどうしたいと思っていますか。どうしようと思っていますか。あなたの切なる願いは何ですか。
一所懸命門をたたきましょう。祈りましょう。あなたのその熱心さと「愛さずにはおられない」という神の憐れみの心がふれ合い、スパークして、奇跡が起こるのです。