2009年1月4日   降誕後第2主日 (B年)

 

司祭 ヨハネ 古賀久幸

十字架の周りは吹き溜まり

主の天使が夢でヨセフに現われて言った。「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」【マタイによる福音書2章13節より】

 クリスマスの美しい物語の次に早くもイエス様の十字架を予感させるような危機的な状況が綴られます。生まれたばかりのイエス様は時の支配者により命を狙われました。間一髪でエジプトに逃れ、帰国してもその危機はさらず辺境ガリラヤのナザレ村に住まわれたのです。考えてみれば、イエス様が旅先でお生まれになった理由も、時のローマ皇帝の命令により人口調査が実施されたためでありました。 個人には抗いがたい大きな情勢の奔流に生まれたばかりのイエス様は木の葉のように漂われたのです。神様の言は私たちの世界の難民の一人となられました。
 数年前、あちこち転送された形跡が伺われる海外からの一通の手紙がわたしの手元に届きました。二十数年前に知り合ったスリランカ人の牧師からでした。シンハリ・タミル両民族間での深刻な内戦が続く中、学校の校長をされていたお父さんを爆弾テロで亡くし彼の教会も破壊され家族も信徒もちりぢりになっているとの連絡を最後に消息がぷっつり途絶えていたのです。安否を確かめるすべもなく年月を重ねていたのですが現在はオーストラリアに亡命難民として受け入れられタミル系の教会で牧師をしているとのことでした。彼の逃避行は凄まじいものだったそうです。こうして生きているのが奇跡だと語っています。あちこちを転々とする生活の中でも生きることをあきらめなかったのは、イエス様がともにいてくださったからだといいます。
 イエス様はご自身の力で世界史を変えようとは一切なさいませんでした。徹底して時代の荒波に翻弄される名もない人々のひとりの側におられた方です。そして、最期には十字架での無残な死が待っていました。しかし、このときから世界を動かす中心軸は勝利を収めたローマではなく、イエス様の十字架へと大転換をとげたのです。この世の中、いったん嵐が吹くとたくさんの人々がいやおうなしに風に巻き上げられます。そんな木っ端のようなわたしたちが吹き溜まるところがイエス様の十字架の周りだとしたら新たな恵みにまた生きていけるような気がします。