2008年7月27日   聖霊降臨後第11主日 (A年)


執事 アンナ 三木メイ

「天の国はからし種に似ている」(マタイ13:31〜32)

 昔、聖地旅行から帰ってきた友人に「からし種」を見せてもらったことがあります。透明な袋に、黒い点々のような小さな小さな種が入っていました。種だと知らなければ、何かのカスかこぼれた粉だと思ってはらいのけて捨ててしまいそうな小さなものでした。ある本には「成長すると4メートルほどにもなる」とあります。聖書には「成長するとどの野菜より大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」と書いてありますが、本当なのでしょうか。残念ながら、その成長した木を私は見たことがありません。あんな小さな種がそんなに大きくなることは、この目で見なければ信じられない気がします。
 宮崎駿監督のアニメ映画『となりのトトロ』をご覧になったことがあるでしょうか。その中でこんなシーンがあります。女の子のメイが庭に種を蒔いて、芽が早く出て来ないかなと思いながら眠りにつきます。夜中にふと目がさめて庭を見たら、なんとトトロとその仲間たちが何やらお祈りでもするようにしながら、あの蒔いた種の周りを廻っている。それで、メイと姉のさつきもトトロたちと一緒になって何かぶつぶつ言いながら蒔いた種の周りを廻って、芽が出てくるようにエイッと念をおくるのです。すると、急にポンと芽が出てきて、それがどんどん成長して、一晩のうちに大きな木になり森になった。メイとさつきは大喜びで、トトロに抱きついて空を飛び、その木の一番てっぺんの枝まで行き、月に照らされた緑いっぱいの景色を満喫するのです。私は、天の国で神様から豊かな恵みを授かるというのはこんな感じかもしれないと思います。
 現実には、種は一晩では大きな木や森にはなりません。でも、大きな森も、実は小さな種がその源です。神さまの御心にかなった天の国は、そのように小さな一つ一つの思いや言葉や行いを、私たちの日常の中に種を蒔くようにして大切に植えていくことから始まる、とイエスさまは伝えようとされたのではないでしょうか。
 私が神様から遣わされている「庭」の一つは、大学のキャンパスです。種蒔きしてもすぐに成長が見られる庭ではないのですが、時々新しい芽を見つけたと感じる時があります。ある日の授業の後に学生が書いたコメントを一つご紹介します。「神様とお話することは、自分自身と向き合うということなのではないでしょうか。自分の中にいる“もう一人の自分”のようなものをしっかり見つめ、何が正しいことで、何が自分のやるべきことなのかを考えることが、神様の心を考えることなのかな、と思いました。」
 「となりのトトロ」のメイやさつきのように、私も小さな種を蒔いて、その成長を心から祈っていきたいと思います。神様が、新しい芽を出させ、大きく成長させてくださいますように、と願いながら・・・。