2008年7月13日   聖霊降臨後第9主日 (A年)


司祭 ヨブ 楠本良招

初島だより その5「自然の時」

 借りていた大きなテレビが画面の半分しか映らず、不便であったが、とうとう映らなくなった。代わりにラジオを聞くようになって、ニュース番組や朝のラジオ体操をするようになり、味わいがある時を過ごしている。夜の時は読書の時間も増えた。ラジオの時の静けさに心地良さを感じている。壊れたテレビを修理すれば、買ったほうが安いと言われ迷いながらも、テレビよりももっと大切な自然の時を学んでいると思っている。
 今週の福音書は「種を蒔く人」のたとえ(マタイによる福音書13章1節〜9節、18節〜23節)である。このたとえはガリラヤ湖のほとりにある畑の身近な畑が題材になっている。集まった大勢の群集のために、イエスさまは舟から話されたとある。身近な分かりやすいたとえを話された。種を大まかに蒔いてから、畑を耕した。そのため道端に落ちる種もあれば、岩地に落ちたり、あるいはいばらの中に落ちる種もあった。良い地に落ちた種だけが、豊かな実を結ぶ、とたとえを結んでいる。イエスさまは「耳のある者は聞きなさい」と言われた。「耳のある者」とはイエスさまのみ言葉を聞く人にその責任を任せられようとしたことである。そして弟子たちにこのたとえの真意を説いている。弟子たちはイエスさまのみ声をしっかりと聞き、イエスさまを見上げ、お従いするように求められている。
 イエスさまはやさしく、分かりやすいたとえを弟子たちや民衆に語り、彼らは耳に全集中、全神経を持って聞き入ったのでしょう。
 さて、現在のガリラヤ湖はイスラエルの飲料水の50%を賄っていると聞いている。また灌漑にも用いられ、緑豊かな大地となっている。以前、聖地旅行に行く機会があった時、私はガリラヤ湖周辺の緑一面の地を見て、自然そのものとホットした気持ちになったことがあったことを思い返している。
 事務をしている私の机から緑豊かな園庭が見える。すぐ前には大きな金魚池があり、園児の自由時間には金魚や亀に餌をやったり、にわとり小屋のにわとりを覗きこんだりしている。また畑に植えた芋の苗に水をやる園児たちの、はずむ声が聞こえてくる。私の声にびっくりしている園児たちの様子を結構私は楽しんでいる。私はテレビやゲームではなく、緑と自然いっぱいの園庭に恵まれ、自然の時の中でゆったりと過している園児たちの将来の夢を描いているこの頃である。