2008年5月18日   三位一体主日・聖霊降臨後第1主日 (A年)


司祭 セオドラ 池本則子

「今の世界に伝えたいこと」

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28:19−20)

復活されたイエス様は天に昇られる前、11人の弟子たちを集めて、神様の宣教の業に参与するよう派遣されました。その際、イエス様が「すべて守るように教えなさい」と言われた「あなたがたに命じておいたこと」というのはどのようなことだったでしょうか。

イエス様はわずか3年という短い期間でしたが、弟子たちに様々なことを教えてこられました。山上での説教をはじめとする多くのたとえ話や言葉を通して、敵対者と言われている人たちとの論争を通して、また数々の奇跡を通して、罪人と呼ばれている人たちとの食事の交わりなどを通して、あるいは社会構造の中で小さくされた人々へのまなざしを通して、神様の業を、神様の恵みを、神様の思いを示してこられました。イエス様はこれらのことを弟子たちに見せ、聞かせるだけでなく、自分と同じ心をもって生きるように、自分と同じまなざしをもってすべての人々、ことに尊厳を持った人として生きるのに困難を強いられている人々に目を向け考えるようにと命じられていたのです。そして、11人の弟子たちだけではなく、また私たちもイエス様の弟子としてこれらのことを守り行うようにと、命じられています。

先日、沖縄に行ってきました。辺野古のきれいな浜辺・海が今、基地で汚されようとしています。海の大自然の中で神様の恵みに心を癒すのではなく、人間の身勝手さを阻止するためにいらぬ神経をすり減らさなくてはならないのです。何ということでしょうか。沖縄の基地から、そして日本中のあらゆる基地から人を殺すための戦闘機が飛んでいます。私がかかわっているイラクの人たちをこの日本から飛び立った兵士たちが殺している、やりきれない気持ちになります。また、平和祈念公園で何十万人と言う人の名前が刻まれた平和の礎を見た時、なぜ、こんなにも多くの人の命を犠牲にしてまで戦争をしなければならなかったのか、そして、今も世界各地で毎日何百人という抵抗できない小さくされた者たちの命がいとも簡単に奪われている、この現実にどうしようもない悲しみと怒りを覚えました。イエス様の命じられたことと正反対のことが行われているこの現実を見過ごすことはできません。

イエス様がわたしたちに命じられたこと、それはすべて平和につながることです。一人ひとりの力はとても小さなものです。しかし、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」との心強いイエス様の言葉を信じ、イエス様が命じられたことを守り行い、イエス様から力をいただいて、主の平和実現のために、多くの人々と共に力を合わせて働いていきたいと思います。それが、神様の宣教の業に参与するようにと派遣されたわたしたちが、今の世界に伝えなければならないことなのではないでしょうか。