2008年1月6日  顕現日 (A年)


司祭 ヨブ 楠本良招

「初島だより   ヘロデのところ帰るな」

 海岸に近いためか、浜風が強い。空は晴れわたっているに帽子が吹き飛ばされるので帽子に手を添えながらの散歩となる。砂風が舞い、うがいが欠かせない。朝の園内外の清掃では集めた枯葉がちりとりから飛ぶ始末である。風をうらんでも仕方ないが、運命にも似たものを感じる。
 以前、信州上田の教会にいる時は、冬に暗い空から雪が降り続いた時、ほうきではいたり、スコップでとり除いても間断なく降る雪をうらみたくなる気持ちがあったことを思い返している。
 しかし、風も雪もそこに生まれながら生活している人々は、私のように苦情も文句も言わずに黙々と風や雪に耐えていると思っている。
 1月6日の日曜日は顕現日と重なっている。福音書にはヘロデ王の時代にイエスはベツレヘムにお生まれになった」と書きだしで始まっている。ヘロデ王は東方からやってきた占星術の学者達の「ユダヤの王として生まれたかたはどこにおられますか」との問いかけに、不安抱いたのである。彼の心の中には、王としての自分を脅やかし、また自分の知らないところで王として生まれた幼子ひそかに殺してしまおうと考えがうかび「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ、わたしも行って拝もう」
 占星術の学者たちは星に導かれ、ついに幼子に出会った。彼らが見出した幼子は絵画のように後光もなく、この幼子が成人して教えを聞くこともなかったが、「彼らはひれ伏して拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。」のである。」黄金」は今日でも高価な宝、「乳香」は高価なアラビア産の芳香のある樹脂、「没薬」も香料の一種、彼らはメシアを拝んだだけではなく、かれらは最も大切なものを捧げたのである。
 先日、「マリア」の映画を見たが、マリアに抱かれた幼子イエスとヨセフ、星の光に照らされる中、数人の羊飼たちと、東方の賢者たちの場面は涙の出る位に美しく感動したことを思い返している。
 「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰っていった。」
 救い主の誕生は人の思いを超えた、新しい出来事。東方の賢者たちの努力や熱心が救い主を見つけたのではない。救い主の誕生のしるしが彼らを動かしたのである。
 その救い主を権力で否定しようとも、神のみ心はあらゆる方法で救い主をも守ろうとされることを聖書は物語っている。
 どんな風も雪もいつかは晴れることを思う、私たちは、どんなに努力しようとも、すでに救い主がお生まれになったことに喜びをもって、今日も励みたい。