2007年9月23日  聖霊降臨後第17主日 (C年)

 

司祭 エリシャ 富田正通

「賞味期限と消費期限」【ルカ16:1〜13】

 食品に賞味期限や消費期限が記載されるようになって、この日付に敏感になっている人が多くなってきています。私は、賞味期限内の食品でも期限切れと思われるものがあり、冷蔵庫に忘れた期限切れの食品でも美味なものがあるので、基準は自分の舌と決めています。資源保護の面からレジ袋の削減が進んでいますが、賞味期限の刻印のために多くの資源が費やされていますし、期限切れの食品が大量に廃棄されていることを思えば、本当に賞味期限の表示が必要なのかと考えてしまいます。
 定年が近づくにつれ、賞味期限や消費期限は食品よりは、人間に付けた方が良いのではないかと思うようになってきました。私の場合、定年という消費期限より先に賞味期限が切れているのではないか。目がかすみ、祈祷書の字を注視しようとすればするほど字がにじんできます。聖歌では、音符の位置が5線上で分からず、適当に歌って混乱を引き起こしてしまいます。祈祷書の司祭の読む字が細くしてある意図に最近気付き、深慮だと感心しています。
 ナショナルの創設者松下幸之助氏が会長の頃、企業の業績が低迷した時、再度陣頭指揮を取ったことがありました。うまくいかずに退き、若手の重役の中から社長に抜擢し、社の命運を託したことがありました。松下氏ほどの人材でも、賞味期限が切れてしまうと老害になってしまうのだと感じました。創設者、功績のあった人でも賞味期限が切れているのかを自分での判断を厳格にしないと、老害を振りまいて迷惑をかけるのですから、私のような凡人はなおさらだと感じています。引き時を知ることは重要なことです。
 聖書はイエス様の譬で、「管理人が不正を摘発され、解雇の予告を受けた時、対策を考えます。主人の債務者に債務を軽減して恩を売り、自分の生きる道を切り開こうとしました。彼のやり方を主人が褒めた。」と言われます。背景として、富の蓄積には不義・不正が行われている現状認識。弱者への救済の正当性、神の国と富とは背反するものという思想が流れています。
 さて、この管理人はピンチにうまく立ち回る才覚を持っているので、能力は賞味期限内だったのでしょう。
 若い人でも賞味期限が過ぎていると思われる人を見かけますが、大量に消費期限を過ぎる団塊の世代は元気な人が多く、人間として賞味期限内の人がほとんどでしょう。以前とは違い退職後の人生設計も怠りなく、濡れ落ち葉や粗大ゴミといった言葉を死語にしてしまいました。
 皆さんの信徒としての賞味期限はいかが相成っていますでしょうか、さらに神の国への賞味期限は?