2007年6月17日  聖霊降臨後第3主日 (C年)

 

司祭 サムエル 小林宏治

「あなたの罪は赦された」【ルカによる福音書第7章36節〜50節】

 聖書の個所は、小見出しでは「罪深い女を赦す」となっています。
 まず、国語辞典によれば、罪とは、「道徳や法律にそむいた行い。仏教やキリスト教で、教法を破る行為」と記されています。また、聖書辞典には、「罪の本来の定義は目標をはずすということである。人または神に対して何かをしそこなうことである。罪の本質はまた契約への違反であると考えられる。すべての罪は神を害うことである。」と記されています。また関連して、罪人とは何かを見てみると、「神なき者を罪人と考える。取税人や罪人と呼ばれている人たちはこのような者、すなわち律法を守らない者である。」と記されています。聖書に記されている罪深い女とは、上記の考え方からすると、律法を守らない者ということができます。
 イエス様はファリサイ派の人の家に招かれました。そして、一緒に食事の席に着かれました。その時、ある女性があらわれ、イエス様に向かって愛にあふれた行為をしました。この女性は人々から罪深い女と見られていました。しかし、イエス様は、その人に対して「あなたの罪は赦された」、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。
 イエス様にとって、この女性は、罪深い女というレッテルに相応しくないものと映りました。イエス様にとってこの女性が示した行為は、愛に溢れたものでした。シモンというイエス様を招いた人よりも大きな愛をイエス様は感じられました。罪に定められていたこの女性が、いかにその罪を悔い、あふれるばかりの感謝の気持ちを表わしたのかをイエス様は強く理解されました。そこにあるのは、神様への感謝から出た、愛の行いでした。
 イエス様は、彼女が神様のみ旨に適った者であり、まさに罪の赦しを受けるに相応しいものと認められたのでした。それゆえに、イエス様は彼女に神様の愛を示されたのでした。それは、罪の赦しです。神様が持つ、究極の愛の業とも言えます。
 むしろ、神様から離れ、罪の中にあった彼女が、神様からの赦しを受けたものとして、赦されたものの態度がイエス様へのもてなしに表れているとも言えます。その行為に対して、イエス様は他の人の前で宣言という形で、神様による罪の赦しがこの人に表れていることを明らかにされたのです。イエス様は罪人を受け入れられます。そして、その罪の赦しに相応しい者へと変えられることを求めておられるのです。