2007年5月27日  聖霊降臨日 (C年)

 

司祭 サムエル 門脇光禅

「ペンテコステのお話し」【使徒言行録2章1〜13節】

 本日はペンテコステの日です。教会ではクリスマス(イエス・キリストの降誕日)とイースター(イエス・キリストの復活日)とならんで3大祝日の1つです。
 さて、このペンテコステの日の出来事をしばしば聖霊降臨という言い方もするのですが、少し考えものです。聖霊がこの日に初めて生まれてわたし達に降臨したのかと誤解を招きかねないからです。神さまは永遠に父と子(イエス・キリスト)と聖霊なるお方です。
 聖霊はかのダビデの口を通して語り、またイザヤによって語らせ、そしてステパノは最後の説教でユダヤ人がその歴史の中でいつも聖霊に逆らってきたことを非難しています。このように見ると、聖霊はあらゆる時代神さまの真理と神さまのお考えを啓示する神さまであるといえます。そしてそのことに加えてこの日特別なことが起こったのです。
 ペンテコステの日が教会の誕生日といわれます。それはこの日から聖霊は初代教会を事実上動かす指導力の源泉となったからです。初代教会は聖霊の導きを受けずに重要な決定をしたことはありません。また教会の指導者は聖霊に満たされた人々でありました。教会の信徒はみんな空気の中にいるように聖霊のうちに生きていました。聖霊はその日の勇気と力の源でした。キリスト者が危険に遭遇したときの勇気、人生を生きる力、雄弁が必要とされるときには雄弁が与えられ、状況に左右されない落ち着きと喜びが与えられました。それは聖霊の働き以外に考えられません。
 さて聖霊が与えられる度合いというものはどんなものなのでしょうか。それは、人がいかなる人間かによって決まって来るものです。誠実に神さまの望まれることを行おうと努力している人は、だんだんと聖霊による奇跡を経験するようになります。キリストに従う人生を生きようとする人はひとりでに力を得るようになるものです。
 ユダヤには古来から3大祭りがありました。「過ぎ越しの祭り」「五旬節(ペンテコステ)」「かりいおの祭り」です。そしてこれらの祭りにはエルサレムから32キロ以内に住んでいるユダヤ人男性は参加が義務づけられていました。
 ペンテコステとは「50番目」という意味です。過ぎ越しの祭りから7週間あと50日目から始まる1週間ということでペンテコステは「七週の祭り」とも言われました。
 この祭りの大切な意義は、歴史的意義としてモーセに律法が与えられたことを記念することです。農業的意義は、過ぎ越しの祭りでは穀物の初穂の束が捧げられますが、ペンテコステでは収穫が完全に終わったということに感謝することです。その意味で2つのパンが捧げられました。さらに付記すべきはこの日にはすべての人々(自由人もそうでないものにも)に休日が与えられたことです。
 ペンテコステのこの日に何が起こったのかはわかりません。確かなのは弟子たちがかつて受けたことのないほどの聖霊の力を受けた経験をしたことです。
 筆者であろうルカが異言と外国語との混同をするとは思えません。ここに生じた出来事はこの種々雑多な人々が、一生のうちではじめて、自分たちに理解でき、まっすぐ心に入ってくるやり方で神さまの言葉を聞いたということではないでしょうか。 主に感謝。