2007年5月20日  復活節第7主日(昇天後主日) (C年)

 

司祭 ヨハネ 石塚秀司

「信じて、一つとなって、共におらせてください」

旧約聖書日課(サムエル記上12:19−24)から
20 サムエルは民に言った。「恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、今後は、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい。21 むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。それはむなしいのだから何の力もなく、救う力もない。
使徒書(使徒言行録16:16−34)から
29 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、30 二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
福音書(ヨハネによる福音書17:20−26)から
21 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。

 新約聖書のマタイによる福音書7章7節以下にこのようなみ言葉があります。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」。ある人に、このみ言葉が聖書にあることをお話ししたら、その人は疑いの感情がこもった声でこう言いました。「本当にそうでしょうか?」。恐らくその方には、今まで何度も、求め、探し、門を叩いたけれど、自分の思い通りにならなかった体験があったからかもしれません。
 聖書は、何でもかんでも、たとえ自分勝手なことでも、真剣に求めさえすれば必ず与えられると言っているのではありません。もしそうだとしたらこの世界はめちゃくちゃになってしまいます。そうではなくて、そうした個人的な願望を超えた神様のみ心を求めなさい。そうすれば、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。本当に必要なものを神様はちゃんと与えてくださる。聖書はこのことを言っているんだと思います。そしてそのためには、イエス・キリストを信じる信仰によって神様につながっており、神様の思いが何であるかを知っていることが必要です。
 5月20日の主日の礼拝で朗読される旧約聖書日課は「サムエルの告別の辞」、サムエルが最後に残された言葉が記されている箇所です。そこでサムエルは民衆にこう言います。「今後、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい」。また、使徒書の使徒言行録では、牢獄の看守が「救われるためにはどうすべきでしょうか」と聞いてきたのに対して、パウロとシラスはこう言っています。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われる」。そして、ヨハネによる福音書17章では、主イエスの遺言とでも言うべき告別の説教の後にこう祈っておられます。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように。すべての人を一つにしてください」。これらはいずれも、信仰の絆によって思いが一つとなることを言っています。
 それだけではありません。ヨハネによる福音書14章26節で主イエスはこのようにも約束してくださっています。「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」。自分勝手なことを求めながら生きている私たち人間が、信仰によって、父なる神様とみ子イエス・キリストと一つになることによって、聖霊が私たちに注がれ、その聖霊がみ言葉を思い起こさせてくださり、何が神様のみ心であるか、本当に必要かを教えてくださる。そのようにして「み心が天に行われるとおり地にも行われますように、私たちの生活の場にも行われますように」と、祈り求める者へ導かれていくことができます。そのようにして私たちは、心の平和、この世界のまことの平和を得ることができます。
 来主日5月27日は、お弟子さんたちが祈っているところにその聖霊が降り教会が誕生していったことを記念する聖霊降臨日を迎えます。あなたも是非教会の礼拝に行ってみてください。そしてあなたの心にも聖霊のお導きが豊かにありますように祈ります。