司祭 ダニエル 大塚 勝
前職であった十数年前に、病気でほぼ2ヶ月間欠勤しました。周りの人たちには随分迷惑をかけましたが、お祈りと励ましをいただきました。東京で行われた元同僚の結婚式からの帰りの新幹線の中で、腹から背中にかけての痛みで七転八倒の苦しみを味わいました。その朝、少し腹の調子がおかしいなという位の感じで、たいしたことはないと思っていましたから、なぜ、急にそうなったのかが分かりませんでした。帰洛後、入院し手術を受けました。この時には、自分は健康であるという自信、自分で気をつけて居れば大丈夫という思いがもろくも崩れてしまいました。「わたしは自らを助ける力のないことをあなたは知っておられます」(大斎節第2主日特祷)という祈りがありますが、まさに「わたしは自らを助ける力のないこと」を自覚しました。
今週の福音書で、「救われる者は少ないのでしょうか」という問いに、主イエスは「狭い戸口から入るように努めなさい」と言われます。この人は「自分は救われる」という前提でこの質問を発しています。真面目に生活しているから、当然自分は救われると私たちは思い込んでしまうのですが、そうではなく、神様が私たちを選んでくださるのかどうか、それは神様が決められることです。神様の選びと救いを待たなければならないのです。私たちには自らを助ける力がありません。
漂泊の詩人といわれた種田山頭火は、「どうしようもないわたしが歩いている」と詠んでいます。山頭火が詠む「どうしようもないわたし」とは、それは、まさに、私たちです。もう何十年も前に植木等が「わかっちゃいるけど止められない」と歌いましたが、「そうしなければならない」とわかっているけど出来ないのが私たちです。そういう人間であることを私たちは認識しなければなりません。そのうえで神様にすべてをまかせて寄り頼まなければならないのです。
イエス様は、私たちに、後からついてきなさいと云われます。イエス様は私たちの十字架をともに担って、ともに歩いてくださいます。
今、私たちは大斎節を迎えています。大斎節は、私たち自身のあり方を振り返る期節であります。神様が、その恵みがどのように私たちに注いでくださっているのかを、この機会に振り返って見ることが大切ではないでしょうか。