2006年11月5日  聖霊降臨後第22主日 (B年)


司祭 ヨハネ 井田 泉

大祭司イエス

 「もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。」
                                                       ヘブライ7:26
 旧約聖書・出エジプト記第28章には、神に仕える祭司の衣装、聖なる衣服のことが記されています。
「また、二個のラピス・ラズリを取り、その上にイスラエルの子らの名を彫りつける。……このようにして、アロンは聖所に入るとき、裁きの胸当てにあるイスラエルの子らの名を胸に帯び、常に主の御前に記念とするのである。」28:9、29
 人々のために祈るのが祭司の務めです。それを具体的に行うように、神は定められました。二個のラピス・ラズリを取る。青い石です。磨くと美しく輝き、今も装飾に使われます。その石にイスラエルの名まえを彫りつける。神の民の名前を、人々の名前をそのラピス・ラズリの石に彫り刻んで、それを祭服の胸当てに入れる。胸当ては心臓を覆う布です。体と心のいちばん大事なところに、人々の名を刻んだ宝石が大切に保たれている。それは、祭司がその石に刻まれた人々の名前を胸に帯びて、神の前に出て、その人々のことを祈るためです。
 ラピス・ラズリにその名前を刻まれた人が、どのような困難を抱えていても、どのような悩みを持っていても、たとえその人が神から離れてしまっていても、いや、そうであればそうであるほど、祭司はその人のことを記憶して、その名を胸に帯びて、神の前に出て、その人たちのために祈る。執り成すのです。
 私たちのためにそのような祭司がいてくれればどんなによいことか。私が祈り疲れても、祈れなくても、私がどれほど危うくても、神から離れたようになっていても、その私のために私の名を記憶して胸に帯びて、私のために神の前に出て祈ってくれる人がいてくれたら、私たちは救われていなくても救われるのです。
 そのような祭司の役を、そのようなほんとうの祭司の務めを、私たちすべてのために引き受けた方がおられます。それがイエス・キリストです。
 イエスさまは地上の30年あまりの生涯と死において、人の悩みを知り尽くされました。世の罪と人の痛ましさをご自分のものとして引き受けて、味わって、生きて死なれました。
 そのイエスさまは復活して天に昇られました。私たちのことを忘れて離れて行ってしまわれたのではありません。私たちの名をご自身の胸に刻んで、私たちの悩みと危うさを身に帯びて、神の前に出てくださったのです。
 イエスさまは私たちの方を見ては私たちを祝福し、神の前に出ては私たちのために祈ってとりなしてくださる。このような私たちのための救い主が、ただ地上だけではなく、天にいてくださる。「もろもろの天よりも高くされている大祭司」イエスこそ、わたしたちに必要な方なのです。