司祭 テモテ 宮嶋 眞
今日は、主イエスの姿が山上で変貌したことを憶える日です。この直前にイエスは、弟子たちにご自分の十字架上での死と三日後の復活を予告されました。そして、数人の弟子たちを伴われて、祈るために山に登られました。山は、聖書の中では、しばしば、神との出会いの場所として描かれています。
祈っているうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いたとあります。そして、イエスは、旧約聖書の中に出てくる最大の預言者であるモーセとエリヤに出会い、語り合います。いよいよ、自分の死を通して、神さまの愛を示すという大切な使命を再確認し、最終的な歩みを加速されたようです。
さらに最後に、雲の中から、「これは、わたしの子、選ばれた者、これに聞け」という、神の祝福と励ましの声が聞こえてきます。
飛行機に乗っていて、目的地が近づいて、着陸態勢に入ったときに、飛行機は、フラップを下げ、そして、エンジン音をひときわ強く響かせる瞬間があります。いよいよ、着陸だなと思う瞬間です。先日、大阪空港に着陸しようとするとき、天候が曇っていたために、まさに雲の中で、この変容の日の山の上での出来事を思い出してしまいました。この日は、十字架という着地に向かって進んでいく、イエスご自身の最終チェックの瞬間だったように思われます。
1998年、イギリスのランベスというところでランベス会議(全世界の聖公会の主教が集まって行う会議。10年ごとに開催されている)が開かれていました。1ヶ月あまりの会期には、この8月6日が含まれており、日本から出席した主教団は、この日の礼拝の司式をゆだねられました。「8月6日」言うまでもなく、広島に原爆が落とされた日です。主教団は、このヒロシマデーを記念して、平和聖餐式を行いました。その礼拝は全世界から集まった主教たちにも大きな影響を与えたようです。
この礼拝は、単に広島に原爆が落とされたということ、そこから平和を祈るということだけではありません。8月9日の長崎での原爆投下、8月15日の敗戦記念日をも憶えます。しかも、こうした、大戦の結末における、日本の戦争被害にのみ目を向けるのではなく、この結末を導き出した、日本のアジアへの侵略の歴史をも顧みようとするものです。広島、長崎は、原爆を落とされた被害の町である前には、アジアへの侵略の最重要軍事拠点であったことを忘れてはならないのです。自らの「加害者としての立場」は、気づかないことも多く、またしばしば簡単に忘れ去ってしまうものです。そして、被害のみに目をうばわれるならば、恨み、仕返し、逆襲という、「憎しみの連鎖」の中で、戦争が引き起こされ、継続されてしまうのです。礼拝の中には、日本が植民地支配をし、もっとも加害者として多くの被害を与えた韓国の聖公会が生み出した聖歌を用いながら、祈祷をささげる箇所もあります。
それ以来、わたしの教会では、毎年、8月6日に近い日曜日に、このときと同じ礼拝の形式で行う平和聖餐式(日本語版)を行っています。わたしたちもまた、山上で変容された主イエスのように、憎しみからではなく、愛をもって「平和の連鎖」を生み出すものに作り変えられますようにとの願いをこめて、、、