2006年4月16日  復活日 (B年)


主教 ステパノ 高地 敬

「そのことによって、私たちは愛を知りました」【ヨハネの手紙一3:16】

 ロベルト・ベニーニ監督、主演の『ライフ・イズ・ビューティフル』は、数年前にいくつもの賞を取った映画です。
 主人公のグイドは、いつもふざけて人を笑わせる、とても陽気な男です。やがて結婚し、子供ができ、とても幸せな生活を送りますが、息子が5歳になったとき、一家はユダヤ人の強制収容所に入れられます。厳しい労働をさせられ食べ物も乏しく、人がどんどん死んでいくような毎日で、グイドは息子を隠し続けます。その上、息子を不安がらせないように、収容所での生活をすべてゲーム仕立てにします。「これはみんなゲームで、ゲームに勝った人のところには戦車が迎えに来るんだ」と言って聞かせ、夕方ふらふらになって帰って来ても息子には笑顔で接し続けます。やがて彼は連行され、殺される直前にも息子の前ではいたずらっぽく笑ってふざけて見せます。映画は、この子が戦車に乗せられて解放されるシーンで終わっていました。
 後半はほとんど泣きっぱなしで映画を見ていて、こんなにも人から愛されているこの子の気持ちに自分の心が響き合っているのを感じ、また、こんなにも人を愛し抜くグイドの姿に感動し、人を純粋に愛することが人間にはあるのだという希望を持ちました。
 その後、この子は母親に再会し、父親が死んだこと、それも自分を支え続け、励まし続けて死んだことを知らされるのでしょう。その時には、記憶に残っている父親の姿が生き生きと動き出すのを感じるのだと思います。
 イエス様の弟子たちが経験したのも、このようなことではなかったかと思います。自分たちのために死んだ方が再び生き始め、今も自分たちを励まし続けている。このことに気が付いた弟子たちは、この感動を世界に伝えていきました。
 人生すべてしんどいことばかりだと感じることが私たちにはたくさんあります。もっとつらい人生を生きている人が本当にたくさんいることも知っています。ただ、そんな中でも私たちを生かしてくれている人がいて、私たちを支えてくれている人がいるのだと感じるとき、「やっぱり人生はすばらしい」と泣きながら言う。生きる力が全くなくなってしまったようなときでも、ようやく立ち上がっていける。それがわたしたちの起き上がる時、復活する時でありました。