2006年2月12日  顕現後第6主日 (B年)


司祭 マタイ 西川征士

「健やかな命を保つ呼吸」

 このところ毎主日、イエス様の初期の宣教についての記事を読んでいますが、その特徴は病人をいやすというお働きが中心であったということです。本日の特祷に「み子イエス・キリストは病気の人をいやし、健やかな命を回復されました。」とありますように、イエス様の宣教の目的は〈健やかな命を回復すること〉でありました。
 確かに、イエス様は色々な病気の人をいやされましたが、病気をいやすのは医者の仕事でありますから、そのこと自体がイエス様の宣教の目的であったとは思われません。ですから「病気の人」とは一体誰であったのか、どういう人々であったかを正しく知らねばなりません。イエス様は「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」〈マタイ9:12〉と言いながら、続けて「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:13)とも言っておられるように、「病人」は「罪人」のことであります。
 ところが、パウロが「ユダヤ人もギリシャ人も皆罪のもと下にあるのです。」(ロマ3:9)と言っているように、罪の無い者は一人も居ないのですから、私達みんなが病人なのです。肉体的な病気、精神的な病気を背負っている人々に止まらず、心の重荷を負う者、即ち私達一人一人、みんなが「病人」であるということに他なりません。イエス様は、そういう私達全ての者に〈健やかな命を回復すること〉を目的として、日夜お働きくださっています。
 私達は〈健やかな命〉についても、肉体的な意味合いからと、霊的な意味合いからの両方から考えねばなりません。
 「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻から命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創2:7)人間は皆、神から「命の息」を吹き入れられて、「生きる者」となりました。人はそういう訳で皆、神様によって〈息〉・〈呼吸〉をして生きています。しかし、この〈息〉や〈呼吸〉のことを考えてみますと、やはり二つの方向から考えねばなりません。
 一つは、肉体的な意味合いから考えた時の〈息〉・〈呼吸〉です。〈息〉・〈呼吸〉が止まると〈死〉です。従って、〈息〉・〈呼吸〉は私たちの〈命〉そのもので、大切な大切なものです。こんな大切なものでも、普段健康な人は誰も意識しません。それでも、父なる神様はきちんと〈息〉・〈呼吸〉をさせ、〈命〉を保っていてくださいます。
 もう一つは、霊的な意味合いから考えた時の〈息〉・〈呼吸〉です。人間は動物的存在だけでなく、霊的な生き物でもあります。即ち、「心」でも生きています。「心」も健やかな〈息〉・〈呼吸〉が必要です。こちらの〈息〉・〈呼吸〉は一体どのようにしてするのでしょうか。
 多くの人は、芸術や趣味やスポーツなど色々な所で「心」の〈息〉・〈呼吸〉をしているのかも知れません。それも良いでしょう。でも、本当に規則正しい安らかな〈息〉・〈呼吸〉になっているでしょうか。幸い私達には〈信仰〉という素晴らしい世界が与えられ、そこで安らかな〈息〉・〈呼吸〉をすることが許されています。祈りという世界で、私達は主の言葉を聴き、主の御体と御血を頂き、慰められ、強められることによって、主と交わり、主を賛美するという形で、霊的な〈息〉・〈呼吸〉をさせて頂いているのです。こんな大きな恵みがあるでしょうか。
 先日、教会委員会で高地主教様提案の「針の穴計画」について話し合っている時、一人の方が「幼児洗礼から教会で育ったので、何の疑問も持たずに、ぬくぬくと信者生活を続けていて、自分で決心し洗礼を受けられた信徒の方に、ひけめのようなものを感じる。」と言われ、大いに話が盛り上がりました。大方の意見は「それで良いのではないか。」ということでした。
 私も、同じ立場で、学生時代〈自分の信仰〉ということに拘り、悩んだことがありますが、幼少の時から信仰的環境に入れられて、ごく自然に信仰生活を続けられていることが、どんなに恵まれたことかと、親や教会の方々、神様に深い感謝の思いを抱いた事があります。
 「信仰とは呼吸のようなものだ。」と気づいたのは、その時でした。身体の営みとしての〈呼吸〉も大切なのに、普段余り〈息〉をしていることを意識しません。〈信仰〉という心の営みとしての〈息〉・〈呼吸〉も本当に大切なものであるが、余り意識もせずに、ごく自然にできているということは、実にありがたいことだと思っています。幼児洗礼の方も、壮年洗礼の方も大同小異。肩肘張らずに、安らかな〈息〉・〈呼吸〉を教会でできるなら、それで十分な、幸せなことです。
 私達は皆、肉体的にも霊的にも神様から「命の息」を吹き込まれ、意識していようがいまいが、正常なきちんとした〈息〉・〈呼吸〉をさせて頂いていることを改めて感謝したいと思います。そして、この〈息〉・〈呼吸〉の生活をますます大切にして行きましょう。