2006年1月29日  顕現後第4主日 (B年)


司祭 バルトロマイ 三浦恒久

ゼロになる覚悟

 砂上の楼閣。「世界一」を目指したライブドアは、堀江貴文氏の逮捕・社長辞任によって、大揺れに揺れている。このような事態が「想定内」だったのか、そうでなかったのかは分からない。
 堀江氏はゼロから巨万の富を得たIT時代の寵児だった。彼はゼロからの出発であったのであるから、事業を興した当初は、失敗してゼロに戻ったとしても、その覚悟はできていたであろう。ところが、次第に富を得るに従って、ゼロになる恐ろしさを感じ始め、行き着くところまで突っ走ったのではないか。誰にとってもゼロになることは恐ろしいものだ。
 イエスは30歳の頃、宣教活動を開始したと言われている。活動の内容は病人を癒し、悪霊を追放し、説教をすることだった。特にイエスの説教は、「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった」と言われているように、人々の魂を揺さぶるものであった。律法学者は形式にとらわれ、自己保身にきゅうきゅうとし、自己責任と主体性に欠けていた。ところが、イエスには自己保身など微塵もなく、限りなくゼロに近かった。それゆえ、イエスの語る説教は律法学者のそれとは違い、活気と自由にあふれ、人々の魂の深奥にしみ込んでいったのであろう。
 イエスはゼロになる覚悟をしていた。ゼロに向かって歩んだ。イエスの十字架の道は確かに苦難の道ではあったが、同時に自由への道でもあった。
 ゼロになる覚悟をあなたはできているだろうか。